なぜ、今なのか? Jリーグのシーズン移行を深掘り

なぜ今なのか? 15年にわたる歴史から今回の議論の背景、意義まで…Jシーズン移行を深掘りする

飯尾篤史

シーズン移行を強く主張したJFAの犬飼会長(当時/左)。札幌の社長をしていたからこそ、「冬でもサッカーができる、観られる環境を作りたい」と語るJリーグの野々村チェアマン 【(左)写真:アフロ(右)写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 Jリーグ30年の歴史のなかで、たびたびクローズアップされてきたシーズン移行。2008年7月に“改革案”が提示されてから17年12月に議論が“凍結”されるまでに繰り返された“提案・否決”の歴史を振り返る。なぜ、今年に入ってシーズン移行の検討が再開されたのか、どんな議論が展開されたのか。このリポートを読めば、シーズン移行への理解が深まるはずだ。

08年に勃発した犬飼会長と鬼武チェアマンの対立

 Jリーグのシーズン移行をめぐる議論は、今に始まったことではない。

 さかのぼれば、2000年に立ち上げられた「J.League NEXT 10 Project」ですでに、将来のシーズン移行についての話し合いが行われている。

 もともとプロ化以前の日本サッカーリーグ(JSL)時代は秋に開幕して春に閉幕する(秋春制)シーズンだった。1993年のJリーグ開幕にあたって春開幕・秋閉幕(春秋制)となるわけだが、そのときは大学生で、95年にJリーガーとなった野々村芳和Jリーグチェアマンは「当時は海外との競争というより、国内でどう認知されるかが重要で、JSL時代との変化や日本の気候も含めて、国内で人気を獲得していくことに主題が置かれていたからではないか」と推測する。

 Jリーグが国内で一定の成功を収めると、世界を視野に入れてシーズン移行が検討されるようになったのは当然の流れだろう。

 議論が本格化するのは、08年7月からだ。そのキーマンは犬飼基昭氏――。

 川淵三郎氏から日本サッカー協会(JFA)会長を引き継いだ浦和レッズの元社長は、就任してすぐにシーズン移行の改革案をぶち上げたのである。

 9月にはより具体的に「2010年からのシーズン移行」の構想が打ち出された。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)が将来的に秋春制に移行する可能性があること、アジアサッカー連盟(AFC)から賛同を得ていることも明かされた。

 シーズン移行のメリットとして挙げられたのは、「夏場のパフォーマンス低下の回避」「ヨーロッパとカレンダーを合わせることで海外移籍がスムーズになる」「日本代表選手の休養期間の確保」などだ。このあたりの内容は、今と変わらない。

 もっとも、「寒いから観客が来ないと考えるのはサッカーの素人」と強弁することで改革を推し進めようとする犬飼会長への反発も少なくなかった。

「JFA/Jリーグ将来構想委員会」においてシーズン移行の検討がなされたものの、09年3月に委員長を務めるJリーグの鬼武健二チェアマンがJFAの常務理事会に「シーズン移行はしない」という結論を報告。鬼武チェアマンは「スタジアムの問題などで冬場の試合は難しい。クラブ経営上も、観客動員が見込める7、8月に試合をしないのは大きな打撃となる」と説明した。

 ところが、その後も犬飼会長はシーズン移行を主張し、鬼武チェアマンが難色を示すことが繰り返された――いわゆる“鬼犬論争”である。

17年には「今後10年間は凍結」との申し合わせ

16年3月に就任したJFAの田嶋会長(左)はシーズン移行に意欲を示していたが、17年12月の理事会で否決。Jリーグの村井チェアマン(当時)は9つの項目を挙げて否決の理由を説明した 【写真:つのだよしお/アフロ】

 犬飼会長は志半ばで10年7月に退任することになるが、これで議論に終止符が打たれたわけではない。後任の小倉純二会長も就任会見で、日本代表の休養期間の確保などを目的にシーズン移行に賛成の立場であることを示すのだ。国際サッカー連盟(FIFA)理事やAFC理事を務めるJFAきっての国際派だけに、国際カレンダーに合わせることの必要性を感じていたのだろう。

 ただし、積雪地域の環境整備に時間と資金がかかることにも触れ、「無理強いはできない」と時間をかけて解決していきたい旨も表明している。

 一方、同じく10年7月に就任した大東和美チェアマンは「すでに方向性が出ているという認識。今のままでは東北や日本海側のクラブの了解は得られない」と、Jリーグのスタンスは変わらなかった。

 議論に進展が見えたのは13年6月のことだった。

「J1・J2合同実行委員会」において、シーズン移行のメリットが確認され、「今後は降雪・積雪地域のクラブを中心として、JFA、Jリーグ、Jクラブが協力して12月や2月に試合が開催できるよう観戦環境の整備等を継続的に検討する」とJリーグが発表したのだ。

 その背景には、FIFAとAFCの年間カレンダーの影響があった。

 FIFAが14年から18年までの毎年9月、10月、11月にインターナショナルマッチデー各2試合を設定したため、Jリーグとしてはシーズン終盤に3か月続けて2週間前後の中断を強いられることになった。

 さらに、AFCがACLのスケジュールを秋春制へと移行する計画を進めていることも判明。Jリーグの中西大介競技・事業統括本部長は「そうなるとJリーグのカレンダー自体が破綻してしまう」と危機感をあらわにした。

 もっとも、ヨーロッパでは反対に秋春制から春秋制への移行が検討されているという情報もあり、ACLのシーズン移行時期も不明確なため、Jリーグの移行時期については継続審議となり、またしてもシーズン移行へと舵が切られることはなかった。

 三たびシーズン移行に注目が集まったのは、16年1月。JFAが初の会長選挙を行い、シーズン移行に意欲を示す田嶋幸三副会長が原博実専務理事を破って当選したのである。

 17年3月に開かれた「JFA/Jリーグ将来構想委員会」ではシーズン移行について議論され、「19年から実施」「22年から実施」「当面は移行しない」という3案から年内に結論を出す見通しとなった。会合ではドーム建設にかける費用の試算が提示されるなど、踏み込んだ議論がなされたという。

 JFAはカタール・ワールドカップが行われる22年からのシーズン移行を提案していたが、17年12月の理事会でJリーグはシーズン移行を否決。村井満チェアマンは移行しない理由として、「移行しないほうがリーグ戦実施可能期間は1か月以上長い」「移行しても1月に移籍する選手は減らない可能性が高い」「企業との期ずれも、修正が難しいとの見方が多い」といった9つの項目を挙げた。

 と同時に、この議論について「今後10年間は凍結する」ことも申し合わされた。

 ところが5年後、事態は大きく動き出すことになる。議論を再開させたのは、外部によるインパクトだった――。

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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