FA導入から30年 現代移籍史

NPB→MLBの移籍制度はどう生まれた? 背景に2投手の騒動、MLBの成長も

中島大輔

今オフ、ポスティングでのMLB移籍を狙う今永昇太は、WBC決勝・アメリカ戦に先発しメジャーでも通用する実力を披露した 【Photo by Daniel Shirey/WBCI/MLB Photos via Getty Images】

ポスティングでのメジャー移籍が多い理由

 今オフにFA権を行使した7選手の中で唯一、メジャーリーグ(MLB)への移籍を目指しているのが松井裕樹(楽天)だ。高卒1年目から一軍で活躍してきた左腕投手は入団10年目の今季、海外FA権を取得してMLB挑戦を表明した。

 一方、ポスティングシステムでメジャー移籍を狙うのが山本由伸(オリックス、入団7年目)、今永昇太(DeNA、同8年目)、上沢直之(日本ハム、同12年目)の3人だ。

 2013年以降、海外FA権を行使してMLB球団と契約したのは昨年オフの千賀滉大(ソフトバンク→メッツ)ら4人。対して、ポスティングでメジャーに移籍したのは昨年オフの吉田正尚(オリックス→レッドソックス)、藤浪晋太郎(阪神→アスレチックス)ら11人と3倍近い。

 ポスティングで海を渡る選手が多い理由は、今季国内FA権を取得した今永のケースを見ればわかりやすい。現在30歳の今永は順調なら来季海外FA権を手にしてメジャー移籍を目指せるが、1歳でも若く挑戦したいだろう。FAになれば球団は無償でエースを失うものの、今オフにポスティングにかければ獲得先から譲渡金を得られる。今永の契約は4年総額5200万ドル(約77億5400万円)の見込みという報道もあり、その場合は967万5000ドル(約14億4300万円)がDeNAに支払われる計算だ。

 ポスティングにかける球団は大きな戦力を失うことになるが、譲渡金という“見返り”は大きい。だからこそ連載1回目で述べたように、日本ハムの球団代表としてFA制度の設計に大きく関わった小嶋武士はFAとポスティングの同時導入を主張したのだ。

 実際にはFA制度誕生の5年後、ポスティングは1998年に成立した「日米間選手契約に関する協定」で導入された。その間に起きたのが、野茂英雄、伊良部秀輝という球界を代表する2投手のMLB移籍だった。

続々と誕生した日本人メジャーリーガー

野茂英雄(写真中央)が風穴をあけなければ、その後ここまで多くの日本人選手が海を渡ることはなかったかもしれない 【J.D. Cuban /Allsport】

 1989年ドラフト1位で入団した野茂はプロ1年目から4年連続最多勝という偉業を達成。1994年オフ、当時26歳の野茂は代理人の団野村とともにMLB移籍を模索した。その一手目が所属先の近鉄に6年総額24億円の複数年契約を求めたことだった。2人の予想通りに近鉄はこの要求を拒み、野茂は「任意引退選手」として公示された。

 任意引退選手は日本のプロ野球(NPB)独自の規定で、現役引退後も選手の保留権は最終所属球団に残るというものだ。選手はNPB球団で現役復帰を目指すと自由に移籍先を選べないが、MLBにそうした規定はなく、アメリカに行けば「フリーエージェント=自由契約選手」になる。こうした規定の穴を突き、FA権の取得まで最低6年が必要だった野茂はドジャースへの移籍を果たした。

 その2年後の1996年オフ、ヤンキースへの移籍を模索したのがロッテの伊良部だった。1994年に最多勝を獲得、翌年から2年連続で最優秀防御率に輝いた裏で、広岡達朗GMとの関係が悪化していた。伊良部はFA権を有していたわけではないが、球団はトレードでのMLB移籍を約束した。

 ロッテはパドレスへのトレードを決めたが、1967年に日米のコミッショナー間で結ばれた紳士協定に両国でのトレードに関する規定はなく、選手に無断で契約を結ぶことはできない。代理人の団野村とともに伊良部はロッテからパドレスへのトレードに反対し、最終的に“三角トレード”という形でヤンキースへの移籍が実現した。

 以上の事例が大きく影響して1998年、ポスティングシステムが導入された。伊良部の移籍の際、一部の球団が独占的に交渉権を獲得したことが問題視され、MLBの全30球団が平等に選手を獲得できるチャンスが設けられたのだ。

 それでも当初、ポスティングよりFA権を取得して海を渡る選手が多かった。最初にその道を求めたのが1997年オフ、ヤクルトからメッツに移籍した吉井理人だ(現ロッテ監督)。翌年オフにはオリックスの木田優夫がデトロイト・タイガース、1999年オフには横浜の“大魔神”こと佐々木主浩がマリナーズに入団する。MLBで吉井は1999年に二桁勝利(12勝)を達成、佐々木は入団1年目からクローザーに抜擢されて新人王に輝くなど、日本のトップ投手は海の向こうでも確かな実力を披露した。

 そして2000年オフ、野手として初めてFAでMLBに移籍したのが新庄剛志(現日本ハム監督)だ。残留を望む阪神から5年総額12億円(推定)を提示されたが、メッツと契約金30万ドル(当時のレートで約3300万円)、年俸20万ドル(同2200万円)に加えて出来高50万ドル(同5500万円)の3年契約を結んだ。サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍した2002年には日本人として初めてワールドシリーズに出場、2004年に北海道移転した日本ハムに加入してスーパースターの座を手にするなど、移籍の選択によりキャリアを大きく変えられることを示した。

 新庄が海の向こうで躍動した頃、MLBにセンセーションを起こしたのがイチローだった。オリックス時代の1994年に年間最多安打(210)の記録を樹立、同年から7年連続首位打者という金字塔を打ち立てた左打者は2000年オフ、日本人選手で初めてポスティングにかけられた。当時の同制度は希望球団によるオークション方式で、マリナーズが1312万5000ドル(当時のレートで約14憶7000万円)で交渉権を落札。赤字経営だったオリックスにとって大きな収入となった。日本中の期待を背負って渡米したイチローは1年目から首位打者&最多安打に輝くと、2019年に引退するまでMLBの歴史に名を刻む活躍を見せた。

 2001年オフには右腕投手の小宮山悟(横浜→メッツ)、野手の田口壮(オリックス→カージナルス)がFAで、左腕投手の石井一久(ヤクルト→ドジャース)がポスティングで移籍した。海の向こうから日本人選手への需要は増え、実現には至らなかったものの2000年オフに川崎憲次郎(ヤクルト→中日)、2001年オフに谷繁元信(横浜→中日)がFAとなった際にいずれもMLB球団からオファーを受けている。

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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

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