連載コラム「工藤公康の野球ファイル」

工藤公康のWBC侍ジャパン戦評 ダルビッシュに感じる「人として大切なこと」

工藤公康

4戦全勝で1次ラウンドを突破した侍ジャパンの戦いを工藤氏はどう見たのか? 【写真:CTK Photo/アフロ】

 現役通算224勝。ソフトバンク監督時代にはチームを5度の日本一に導き、2022年からは野球評論家として幅広く活躍する工藤公康さん書き下ろしの連載コラム。侍ジャパンが4連勝で1次ラウンドを突破し、連日大きな盛り上がりを見せているWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)。工藤氏はどんな思いで侍ジャパンの戦いを見てきたのでしょうか? 第10回目では、侍ジャパンの投手陣を中心にこれまでの戦いを振り返ります。

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心を熱くさせるヌートバーのプレー

気持ちを前面に出して戦うヌートバー(左)のプレーに工藤氏も心を動かされたという 【Photo by Masterpress - Samurai Japan/SAMURAI JAPAN via Getty Images】

 1次ラウンドでは、ラーズ・ヌートバー選手が攻撃の起点となり、本当に頼もしい活躍を見せてくれています。初戦の中国戦では初回の初球ヒットでチームに勢いを与え、2戦目の韓国戦では反撃のタイムリーを打つなど、守備でも気迫あふれるプレーを見せてくれました。特に韓国戦でのダイビングキャッチは、投手にとっても、チームにとっても非常に大きいプレーでした。

 彼のプレーを見ていると、野球を心から楽しみ、そして日本代表としてプレーができることへの喜びや感謝への思いがひしひしと伝わってきます。周りの人をリスペクトし、敬意を払ってプレーをしている姿、ユニフォームを汚しながらも全力で野球を楽しんでいる姿が本当に印象的です。私自身もこの数試合を見ただけで、彼のファンになってしまうほどです。もはやチームに欠かせない存在であるヌートバー選手。彼の一生懸命なプレーに、チームや日本も勇気づけられているのではないでしょうか?

投手陣の安定したピッチングの背景とは?

厳しい緊張感の中で安定した投球を見せてくれた侍投手陣。工藤氏が考える活躍の要因とは? 【Photo by Koji Watanabe - SAMURAI JAPAN/SAMURAI JAPAN via Getty Images】

 投手陣も、日本代表として大きなプレッシャーがかかる中で、素晴らしいパフォーマンスを発揮しています。山本由伸投手にしても佐々木朗希投手にしても、その後を投げるリリーフ陣にしても、本当に素晴らしい投球だったと思います。

 得点差もあったかとは思いますが、野手陣への信頼やチームとしてのまとまりも、投手陣がパフォーマンスを発揮できている要因の1つではないかと思っています。これまで、たとえ先制をされた試合でも逆転してきた侍ジャパン。ピンチになっても、リードを許したとしても、野手陣の状態が良いからこそ、投手はそういった状況でも大胆に攻める投球や思い切った勝負ができているように見えます。

 負けられない試合が続く国際試合でのプレッシャーは、本当に大きいものだと想像できます。他のチームを見ていても、そういったプレッシャーが、
「厳しいところに投げなければ!」
「打たれないように攻めなければ!」
といった状況につながり、結果的に四球やコントロールミスとなり、失点してしまうケースが見られました。

 日本の投手も当然プレッシャーはあるでしょう。その中でも自分の投球ができているのは、そういった野手への信頼が気持ちでの支えになっているからだと思います。もちろん、マウンドに上がっている投手の一人ひとりがこれまでの準備・調整をしっかりとできていたからこそでもあると思います。

 投手は野手を信頼し、野手は投手を信頼している。

 なれ合いという意味ではなく、お互いを日本代表としてリスペクトをし合っているからこそ、チームとしてのまとまりが生まれるのではないでしょうか。

「絶対に勝つんだ!」という強い思いに対して、全員が団結して信頼し合って戦っているからこそ、投手も野手も思い切ってプレーができているのでしょう。

“明るく元気に、野球は楽しく真剣に”

 私が監督のときから選手に伝えてきた言葉です。人によって、この“明るく”や“楽しく”を、どういった伝え方、表現をしていくのか捉え方も様々で、難しい部分があるかと思います。

 この日本代表のチームは、それぞれの個が、その持ち場でのプロフェッショナルとして集まり、自分自身の最高のパフォーマンスを発揮しようと、お互いが真剣に、そして純粋に野球を楽しんでいるように見えます。

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著者プロフィール

1963年5月5日生まれ。愛知県出身。名古屋電気高校(現:愛知名電高校)から1981年、西武ライオンズからドラフト6位指名を受け、入団。西武黄金期を支え、福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズに在籍。現役時代は14度のリーグ優勝、11度の日本一に貢献し、優勝請負人と呼ばれた。現役通算で224勝を挙げ、最優秀選手(MVP)2回、最優秀防御率4回、最高勝率4回など数多くのタイトルに輝き、正力松太郎賞は歴代最多に並ぶ5回受賞。2016年には野球殿堂入りを果たした。2011年に現役を引退後、2015年に福岡ソフトバンクホークスの監督に就任。7年で3度のリーグ優勝と5度の日本一に導いた。現在は野球評論家として活動しながら、筑波大学大学院博士課程に進学。スポーツ医学博士取得に向け研究や検診活動を行っている。

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