連載コラム「工藤公康の野球ファイル」

工藤公康のWBC侍ジャパン戦評 ダルビッシュに感じる「人として大切なこと」

工藤公康

チームを支えるダルビッシュの人間性

工藤氏は、あらゆる人々への感謝の思いを伝えるダルビッシュの姿勢を称賛する 【Photo by Masterpress - Samurai Japan/SAMURAI JAPAN via Getty Images】

 そういった野球を楽しめている状況を支えているのが、ある意味、ダルビッシュ投手ではないかと思います。大会が始まる前から、チームメイトや関係者への対応はもちろんのこと、ファンの方々への対応も本当に素晴らしいと思っています。若い選手へのフォローも含めて、チームに与えている影響はとても大きいものだと思います。

 真剣に野球に打ち込みながら、社会においても、人生においても視野を広く持ち、若い選手に関わるダルビッシュ投手。彼の発信やチームメイトに対する言動を見ていると、そういった明るさや楽しさ、その中での真剣さをうまく選手に伝えているようにも見えます。

 ダルビッシュ投手のチームでの様々な配慮や気遣い、そういったマインドがあるからこそ、若い選手たちもチームで思い切りプレーができているのだと思います。

 少し話が逸れてしまうかもしれませんが、私自身は幼少期から厳しい家庭環境で育ち、55歳になるまで、写真でさえも実の母親の顔を見たことがないという人生を歩んできました。

 そういった環境で育った自分だからこそ、結婚をして、家族ができた時に「家族を守るんだ」「養っていくんだ」と、野球に打ち込んできました。根底は家族のためでしたが、それを成し遂げるために、常に野球を中心に考え、自分のペースに家族や子どもたちが合わせてくれていました。「もう少し家族や子どもたちともうまく関われたのでは?」と反省や後悔もあります。

 まだ30代半ばの年齢で、野球を中心に置きながらも、家族に対する愛や感謝を示し、パフォーマンスを発揮するダルビッシュ投手。家族や周りの方々への感謝をはっきりと口にすることや、オープンなマインドで自分の意思を示すこと、若い選手の指針を示すことはなかなかできるものではないと思います。こういった部分というのは、野球界だけでなく、社会全体にも通ずるような、“変わっていかなければいけない”部分なのかもしれません。

 私自身も、これからを担う若い選手や世代の方々に寄り添って、少しでも力になれるように頑張りたいと、最近のダルビッシュ投手を見ていて感じました。

(企画構成:スリーライト)

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著者プロフィール

1963年5月5日生まれ。愛知県出身。名古屋電気高校(現:愛知名電高校)から1981年、西武ライオンズからドラフト6位指名を受け、入団。西武黄金期を支え、福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズに在籍。現役時代は14度のリーグ優勝、11度の日本一に貢献し、優勝請負人と呼ばれた。現役通算で224勝を挙げ、最優秀選手(MVP)2回、最優秀防御率4回、最高勝率4回など数多くのタイトルに輝き、正力松太郎賞は歴代最多に並ぶ5回受賞。2016年には野球殿堂入りを果たした。2011年に現役を引退後、2015年に福岡ソフトバンクホークスの監督に就任。7年で3度のリーグ優勝と5度の日本一に導いた。現在は野球評論家として活動しながら、筑波大学大学院博士課程に進学。スポーツ医学博士取得に向け研究や検診活動を行っている。

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