連載:打順別・最強打者は誰だ!?<4番打者編>

工藤公康の投手・監督の立場から見た4番論 なぜ柳田悠岐は4番でなく3番だったのか?

前田恵
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4番打者というテーマに対して、投手、監督、両方の視点から語る工藤公康氏 【撮影:スリーライト】

 現役時代、工藤公康氏は西武、福岡ダイエー、巨人、横浜で活躍。14度のリーグ優勝、11度の日本一に貢献し、「優勝請負人」と呼ばれた。そして、2015年から福岡ソフトバンクの指揮を執り、7年で3度のリーグ優勝と5度の日本一に導いた。そんな工藤氏は、現役時代に投手の立場から見た4番と、監督の立場から見た4番とでは、大きくイメージが異なると話す。監督を退いてプロ野球を俯瞰的に見ている今、投手、そして監督から見た4番打者について持論を語ってもらった。

4番打者は「つくられる」もの

首脳陣の期待や思いを含めて、4番打者はつくられるものだと工藤公康氏は話す 【写真は共同】

――工藤さんの現役時代、「4番打者」といえば、どんな条件を兼ね備えた選手でしたか?

 絶対的に必要なのは、長打。そのなかでも率が高い選手、そしてチャンスに強い選手が4番に座っていました。ただ4番打者も、プロ野球人生の1試合目から4番を打ち、4番一筋で現役生活を終えた選手はおそらくいないと思うんです。「(4番打者は)つくられる」という表現が妥当かどうかわかりませんが、その選手の成績はもちろん、「彼に4番を打たせることで、チームを引っ張っていける選手に成長してほしい」といった、その選手に対するチームの首脳陣の思いが、4番打者にはある。そうしてつくられていくなかで、だんだん4番らしくなっていくわけです。特に日本野球では人格や練習に向かう姿勢も含めて、4番はチームの象徴なのではないかと思います。

――チームメイトとして間近で見たなかで、そうした典型的な4番打者は誰がいますか?

 僕の若いときなら、清原(和博=西武ほか)ですね。ダイエー時代なら小久保(裕紀)。練習量はいつもチーム一だったし、4番の自覚や責任感も日増しに大きくなって、リーダーとしてチームを引っ張ってくれました。巨人でいうと、阿部慎之助もそうでした。「4番としての成績、結果を残さなければいけない」というプレッシャーと闘いながら、なおかつそれに打ち勝つだけの強い心を持った選手が4番になれるのだとよく分かります。

――工藤さんが現役時代に対戦して、一番嫌だった4番打者といえば?

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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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