甲子園名将の渡辺元智と前田三夫が語らう 二人の出会いと高校野球指導者の原点
高校野球界をけん引してきた名将、渡辺元智さんと前田三夫さんは50年来のライバルであり、ともに戦ってきた仲間。思いの限り語り合った 【撮影:白石永(スリーライト)】
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意を決してかけた渡辺監督への一本の電話
前田 私が帝京高の監督になった当時、渡辺さんはもう全国に羽ばたいて活躍されておられました。
――前田さんが監督になられたちょうど1年後の春、渡辺さんは春の選抜甲子園に初出場し初優勝されていますね。
前田 そう、永川英植投手を擁して優勝されたんです。その優勝した1973年の秋に関東大会が埼玉でやっていたので、私は生徒募集で歩いている途中に、関東大会を見に行きました。間近で見た横浜高の選手はこれが高校生かっていうぐらいに体格が良くてね、こういう選手を集めて育てていかなきゃいかんなと思いましたね。
その翌年かな、意を決して横浜高に電話をしまして渡辺さんにつないでもらって、練習試合をお願いしたんです。そうしたら、渡辺さんは快く引き受けてくれましてね、夢のようでした。
――前田さんが24歳のときですね。渡辺さんは5歳上で29歳のときになりますね。
渡辺 そうですね。永川が2年春のときに全国優勝をして、その翌年でしょうか。うちの選手が帝京大に進学することがあった関係で、そちらの事務局長をされていた方から前田さんのことは聞いていたんです。「苦労しながらよくやっています」と。
前田 まだ甲子園にも行ったこともない、弱小チームと試合をしてくれる心の広さに感銘しましたよ。ある年の秋、横浜高さんが県大会で負けてしまって、うちがまだ東京大会で勝ち上がっているときがあったのですが、渡辺さん、「うちを練習台として試合してください」なんて言ってくださって……恐れ多かったですが嬉しくもありました。渡辺さんって人はそういう人なんです。毎年試合をしていただき、いろんなことを勉強させていただいて、帝京高の土台を作らせてもらいました。
渡辺 こちらこそ。帝京高と試合をしたときに、大きな刺激を受けたんです。前田さんは選手の前に出てグイグイ引っ張っている。オーラを感じましたよ。勝った負けたではなくて、この人は度量が違うなと。
前田 横浜高の選手は甲子園を経験どころか優勝もしていて、度胸もハクもついている。うちはまだ駆け出しで、気持ちも弱くてね。帝京高はサッカー部が強かったから、横浜高のベンチから「おまえらはサッカーをやっていればいいんだ!」なんていうヤジを飛ばされて、ケチョンケチョンにやられてました(笑)。でもそういうヤジも僕は嬉しかったですよ。戦う気持ち、ハートっていうものをね、横浜高というチームから学ばせてもらった、そう感じています。
渡辺 私が横浜高を預かったとき、ほんとにとんでもない問題児ばかりでね。そんな選手たちを束ねてやるにはハッタリしかない。「どんな学校が来てもハッタリでやれ! 逃げるな!」って言っていたんです。帝京高と練習試合をしているときは、特にそうでね、前田さんの勢いに負けたくないと思うから、二人でガンガンにやってましたね(笑)。同じような指導の仕方で、同じような性格だったんだと思います。今、考えますと、前田さんの方が全然大人でしたけど(笑)。
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