ファンが選ぶ!「甲子園のスター」ランキング

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 スポーツナビでユーザー投票を実施した「甲子園のスター」ランキング。高校野球ファンが選んだ「甲子園のスター」1位に輝いたのは?

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ランキング

順位 選手名(学校名) 甲子園出場 得票率
1 松坂大輔(横浜) 1998春夏 45.24%
2 清原和博(PL学園) 1983夏・1984春夏・1985春夏 30.25%
3 斎藤佑樹(早稲田実) 2006春夏 27.35%
4 吉田輝星(金足農) 2018夏 18.55%
5 田中将大(駒大苫小牧) 2005春夏・2006夏 17.36%
6 松井秀喜(星稜) 1990夏・1991夏・1992春夏 16.11%
7 桑田真澄(PL学園) 1983夏・1984春夏・1985春夏 13.77%
8 藤浪晋太郎(大阪桐蔭) 2012春夏 9.55%
9 根尾昂(大阪桐蔭) 2017春夏・2018春 8.59%
10 荒木大輔(早稲田実) 1980夏・1981春夏・1982春夏 7.24%
11 奥川恭伸(星稜) 2018春夏・2019春夏 6.43%
12 江川卓(作新学院) 1973春夏 6.15%
13 中村奨成(広陵) 2017夏 5.53%
14 清宮幸太郎(早稲田実) 2015夏・2017春 4.31%
15 松井裕樹(桐光学園) 2012夏 4.12%
16 島袋洋奨(興南) 2009春夏・2010春夏 3.37%
17 ダルビッシュ有(東北) 2003春夏・2004春夏 3.22%
18 藤原恭大(大阪桐蔭) 2017春夏・2018春夏 2.93%
19 太田幸司(三沢) 1968夏・1969春夏 2.87%
20 今宮健太(明豊) 2008春・2009春夏 2.15%
21 菊池雄星(花巻東) 2007夏・2009春夏 1.90%
22 水野雄仁(池田) 1982夏・1983春夏 1.84%
23 原辰徳(東海大相模) 1974夏・1975春夏・1976夏 1.75%
24 堂林翔太(中京大中京) 2008春・2009春夏 1.56%
25 石川昂弥(東邦) 2018春・2019春 1.53%
26 森友哉(大阪桐蔭) 2012春夏・2013春夏 1.47%
27 王貞治(早稲田実) 1956夏・1957春夏・1958春 1.47%
28 中田翔(大阪桐蔭) 2005夏・2006春 1.31%
29 来田涼斗(明石商) 2018夏・2019春夏・2020春(中止)夏(交流) 1.19%
30 小笠原慎之介(東海大相模) 2014夏・2015夏 1.12%

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解説

スポナビユーザーから圧倒的な支持を得て1位に輝いたのは、“平成の怪物”こと松坂大輔。松坂が甲子園に残した伝説は今なお語り継がれる【写真は共同】

 ベスト10に入った選手の顔ぶれを見ると、一つの物語ができあがる。

 荒木大輔(早稲田実)が高1夏に愛甲猛(横浜)に挑む。以来、荒木は5季連続甲子園出場を果たした。荒木の活躍から命名された選手が18年後、甲子園に現れる。それが松坂大輔だ。早稲田実ではなく、相手校の横浜だったのが面白い。

 荒木の高3夏に、高2ながら本塁打を浴びせたのが「やまびこ打線」の水野雄仁(池田/22位)。水野は高2夏から3季連続甲子園制覇をめざすが、高3夏に立ちはだかったのが、「KKコンビ」だ。桑田真澄・清原和博(PL学園)は高1夏に深紅の大旗を手にした。だが、高2春は岩倉、高2夏は取手二、高3春は伊野商を相手に苦汁をなめる。そして高3夏、ついに悲願達成。足かけ6年、野球ファンが胸躍らせた一つの「甲子園物語」は完結するのである。


【1位・松坂大輔(横浜/1998春夏)】

 1位はもちろん「平成の怪物」松坂。「延長17回完投、決勝ノーノー、○○世代というワードの誕生」(50代)という読者のコメントが、松坂評を代表している。松坂が断トツで、江川卓(作新学院/12位)がトップ10入りしなかったのは、「江川世代」よりあとの40代・50代の投票者が多かったことが要因だろう。

 PL学園との激闘が終了し、両校あいさつ直後、PL学園ナインが力投をたたえ、次々と松坂に握手を求めた。それまでの甲子園では見られなかった実に印象的なシーンだった。

 この甲子園での大活躍後、日本シリーズ、ワールドシリーズ、WBCのすべてを制した松坂は、野球ファンにとって特別な存在となる。

 松坂を育てた横浜の元野球部部長・小倉清一郎氏に聞いた。「入学時はたいしたことがなかった。ただ、スタミナがあって、スライダーを教えたら5、6球でモノにした。プロで通算200勝できなかった(日米通算170勝)のは残念だ」。


【2位・清原和博(PL学園/1983夏・84春夏・85春夏)】

 清原の高3夏決勝の宇部商戦、サヨナラ勝ちで優勝。報道カメラマンは優勝決定の瞬間、守りなら「マウンド上の投手のガッツポーズ」、攻撃なら「サヨナラ勝利の歓喜の輪」の写真を狙う。このときは3番打者がサヨナラヒット。次打者の清原がバットを天に突き上げて喜び、仁王立ちする姿が画(え)になった。決勝戦、この試合2本目の同点アーチを放ったとき、アナウンサーが叫んだ「甲子園は清原のためにあるのか!」の言葉通りの大スターだった。

 高3夏に中山裕章(高知商)から放った140m級の本塁打も観衆の度肝を抜いた。甲子園大会の高校生の本塁打は、スタンドの観衆は見下げるのが常なのに、観衆は打球を見上げていた。甲子園最多の通算13本塁打を記録した。

 甲子園で優勝してプロ通算2000安打は、王貞治(早稲田実)、柴田勲(法政二)、清原和博、立浪和義、宮本慎也(いずれもPL学園)。通算500本塁打は王、清原だ。高校時代の「KKコンビ」は双方がいわゆる「矛×盾」だったが、同期でタイミングが合うのか、1994年西武と巨人の日本シリーズでは、桑田から3本塁打を放った。


【3位・斎藤佑樹(早稲田実/2006春夏)】

 野球選手は普通、汗をアンダーシャツでぬぐう。なのに2006年夏、マウンド上で右ポケットから取り出したハンカチで汗をふく仕草(しぐさ)は新鮮で、「ハンカチ王子」のニックネームがつけられた。高3夏決勝、駒大苫小牧との「延長15回引き分け再試合」は有名だが、実は高3春も斎藤は関西戦で「延長15回引き分け再試合」を演じている。東京六大学でも通算31勝15敗と大活躍を見せたが、11年のプロ生活は通算15勝26敗に終わった。

“金農旋風”の主役・吉田輝星は、平成最後の夏の甲子園を席巻。特別な100回記念大会に誕生したスターだっただけに強いインパクトを残した【写真は共同】

【4位・吉田輝星(金足農/2018夏)】

 このアンケートで一番意外だったのが、失礼ながら、吉田の4位ランクインだった。読者コメントは「誰よりも輝いていた」(10代)、「地方大会から1人で投げ抜き、勇気と感動をもらったから」(10代)など、10代からが多かった。「輝く星」という名前も実にスターっぽい。試合開始時、鞘(さや)から刀を抜く「侍ポーズ」など、野球を楽しんでいる様子が感じられた。記念の100回大会。地方の公立高の高校生が、絶対王者の大阪桐蔭に挑む姿が共感を呼び、吉田は4位に進出したのだろう。


【5位・田中将大(駒大苫小牧/2005春夏・06夏)】

 兵庫県の少年野球時代、坂本勇人(現・巨人)とバッテリーを組んでいたのは有名だ(田中が捕手)。優勝旗がいつ「白河の関」(福島県)を越えるのか注目されていたが、駒大苫小牧の優勝で一気に津軽海峡を越えた。駒大苫小牧が夏2連覇を達成したとき、高2の田中は決勝戦で150キロをマーク。高3夏の決勝の早実戦では斎藤佑樹に空振り三振を喫した最終打者だった。

 斎藤佑樹の「佑ちゃん」に対して、田中将大は「マー君」と呼ばれる。プロ入り後、野村克也監督に聞いた。「ストレートではなく、スライダーがいいからマー君を新人でも使ってみようと思った。技巧派だ」。江夏豊氏に聞いた。「技巧派に見えるほど細心かつ大胆。本格派だ」。プロで球史に残るバッテリーの印象が対照的なのが興味深い。


【6位・松井秀喜(星稜/1990夏・91夏・92春夏)】

 松井秀喜は何と言っても高3夏の「1試合5打席敬遠」。明徳義塾は味方の応援団からもメガホンを投げ込まれて気の毒だった。極論だが、敬遠が高校野球らしくないというのは「松井の本塁打を見たい」がための論理の差し替えと言えなくもなかった。当時、古田敦也(ヤクルト)に感想を聞いた。落合博満(中日)との首位打者争いにおいて、ヤクルトは「1試合6四球」を与えている。返答は「1試合5四球でも、(明徳が)勝ったのは凄い」だった。

「敬遠」はルールにのっとった正当な作戦であり、代償として無条件で一塁が与えられる。明徳は勝つために一つの作戦を講じた。一方の松井は5打席20球すべて、打てる球を見逃すまいと凝視した。両者が勝つために全力を尽くしたからこそ、見る者の心を打ったのだ。結果、松井はバットを振らずとも全国に強打者であることを知らしめた。

甲子園のスターを語る上でこの2人を欠かすことはできない。桑田の甲子園通算20勝、清原の甲子園通算13本塁打は、今後破られることがあるだろうか【写真は共同】

【7位・桑田真澄(PL学園/1983夏・84春夏・85春夏)】

 桑田は4月1日生まれ。同学年の生徒より成長がほぼ1年遅れの中、甲子園通算20勝(3敗)を挙げたのは凄い。相手校の偵察で「カーブを3球続けたあとストレート」を見破られたが、察知して修正した野球センスは1年生ながら抜群だった。打っても甲子園6本塁打だ。

 投打守とも抜群の野球センス。小柄な175センチだが、プロ通算173勝。甲子園優勝投手で通算200勝に到達したのは野口二郎(中京商)と平松政次(岡山東商)の2人だけ。200勝は実に惜しかった。


【8位・藤浪晋太郎(大阪桐蔭/2012春夏)】

 藤浪は1学年下の森友哉(現・西武)とバッテリーを組み、高3春夏の甲子園を連覇した。なお高3春は大谷翔平(花巻東、現・エンゼルス)に本塁打を許している。さらに高卒プロ1年目にプロで2ケタ勝利を挙げたのは、平成30年間で1999年松坂大輔(西武16勝)、2007年田中将大(楽天11勝)、2013年藤浪(阪神10勝)の3人だけ。くしくも3人とも甲子園で優勝を遂げている。

 現役プロの「夏の甲子園優勝投手」は、2005年田中(駒大苫小牧→楽天)、2012年藤浪(阪神)、2013年高橋光成(前橋育英→西武)、2015年小笠原慎之介(東海大相模→中日)、2016年今井達也(作新学院→西武)、2017年清水達也(花咲徳栄→中日)、2018年柿木蓮(大阪桐蔭→日本ハム)の7人だ。プロ入り3年連続2ケタ勝利のあとは制球に苦しむ藤浪だが、奮起に期待しよう。


【9位・根尾昂(大阪桐蔭/2017春夏・18春夏)】

 根尾は高3夏の決勝、吉田輝星から本塁打をマークして、藤原恭大(現・ロッテ)、柿木蓮(現・日本ハム)らとともに春夏連覇を達成した。投手で150キロ級のストレート、遊撃手として好打を誇る姿は、今宮健太(明豊→ソフトバンク)をほうふつとさせた。しかも根尾は学業も優秀ときて、二刀流どころか三刀流だ。

 プロ3年目の2021年、プロ初本塁打は満塁本塁打だった。同期の藤原、吉田らもプロでもがいている。だが、思えば掛布雅之(習志野→阪神)の時代から、松井秀喜(星稜→巨人)、坂本勇人(光星学院→巨人)、岡本和真(智弁学園→巨人)らもタイトル獲得はくしくもプロ6年目だった。

 今季途中から投手転向。マウンドに登る姿は実に晴々としている。焦らずがんばってほしい。


【10位・荒木大輔(早稲田実/1980夏・81春夏・82春夏)】

 冒頭でも触れたが、荒木は高1夏から5季連続出場。アイドルブーム、甲子園ブームを巻き起こした。高1夏の甲子園は背番号「11」をつけて活躍したが、早大の右のエースナンバーは11であり、荒木はヤクルトでも11を背負った。背番号11は、甲子園で活躍した奥川恭伸(星稜)に引き継がれている。

 1992年日本シリーズ、甲子園のスター対決で荒木は清原に2ランを許して敗れている。シリーズMVPは、早実時代、荒木の控え投手だった石井丈裕(西武)だった。


(文:赤星信元、企画構成:スリーライト)

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