ガンバユースへの昇格が叶わず東山高へ 鎌田大地はそこで何を学び、どう覚醒したのか?
ガンバ大阪ジュニアユースでは井手口らと同期だった鎌田(写真) 【写真提供:鎌田幹雄さん】
6月の4連戦では約半年ぶりに代表に復帰し[4-3-3]でもプレー可能なところを示したが、その後押しとなったのがフランクフルトの一員として臨んだヨーロッパリーグ(EL)での躍進だった。鎌田はレンジャーズとの決勝におけるPK戦で3人目のキッカーを務め成功させただけでなく、チーム最多の5ゴールで優勝に貢献。2021-22シーズンのヨーロッパで最も結果を残した日本人選手として、代表復帰のチャンスを手にした。
中学時代はガンバ大阪ジュニアユースで過ごすもユースに昇格できず、プロ入りまで世代別代表とも無縁だった。一方で、キャリアの節目では「出会いに恵まれ」、約4ヶ月後に迫ったカタールW杯でも中盤の重要なピースとして期待されるまでになった。果たして鎌田は選手としてどのような成長を遂げてきたのか、関係者の証言でひも解く。
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ボールが入ってナンボの選手だった中学時代
当時ガンバ大阪ジュニアユースでコーチを務めていて、鎌田が恩師の1人に挙げる梅津博徳さん(現横浜Fマリノス・ジュニアユース監督)はこう話す。
「攻撃が好きで、冷静さがあって、ノールックのパスを出したり遊び心があるプレースタイルは当時のイメージのままです。決して運動量が多いタイプではなかったですが、いい立ち位置をみつけて、そこから出すスルーパスなどは他の選手と比較しても光るものがありました。
ただ、中学時代の体の成長は人それぞれで、大地はケガがあったり、同期に陽介(井手口)もいたりして完全にレギュラーを取れていたかといえば、そうではなかった。センスはありましたが、分かりやすくいえばボールが入ってナンボの選手。僕は大地が中2に上がるタイミングでユースへ異動になってしまいましたが、クラブとしては他の選手との競争のなかで、守備も含めトータル的な判断として昇格を見送ることになったんだと思います」
中学入学時に150センチだった身長は3年間で約25センチも伸びた。鎌田は急激な成長により身体のバランスが崩れる「クラムジー」を引き起こし、毎年のように手や腰を骨折。ジュニアユース時代は年に2、3カ月は練習を休まざるを得ないなど、苦しい時期を過ごしてきた。
課題を克服した京都・東山での3年間
東山は鎌田が3年になる代に初めてプレミアリーグに昇格した 【写真提供:東山高校】
かつて京都パープルサンガなどでプレーし、初芝橋本時代には酒本憲幸(セレッソ大阪アンバサダー)や金明輝(前サガン鳥栖監督)らを指導した東山の福重良一監督に、当時の鎌田の様子を聞いた。
福重監督は、鎌田の父・幹雄さんの大阪体育大学の1学年後輩に当たる。鎌田との出会いはちょうどガンバユースに上がれるか上がれないかという時期だったそうだ。
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