連載:日本代表選手のルーツを探る

川崎Fトップ昇格を断り、筑波大に進学 三笘薫はその4年で何をして、どう進化したのか

栗原正夫
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川崎フロンターレのトップ昇格を断り、筑波大に進学した三笘 【写真提供:筑波大学蹴球部】

 昨年11月、カタールW杯アジア最終予選の敵地オマーン戦で、三笘薫(ユニオン・サン・ジロワーズ)は森保ジャパンで鮮烈なデビューを果たした。W杯出場を決めた3月のオーストラリア戦では終盤の途中出場で残り時間10分を切ったタイミングでの出場だったが、チームの全得点となる2ゴールをマークするなど、11月に開幕するW杯に向けて日本の攻撃の切り札となり得る可能性を示した。

 最大の武器である左サイドからの緩急をつけたドリブル突破は、海外移籍1年目となったベルギーでも存分に発揮されたが、そのスタイルはいつ、どのように形成されたのか。

 ‟三笘薫”ができるまでをひも解く「後編」では、筑波大時代の恩師と同級生の証言にスポットを当てた。

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「オーストラリア戦はマジで決めてくれ!」

「ああ、任せておけ!」

 三笘薫と筑波大学の同期で、卒業後は1年間アルビレックス新潟シンガポールでプレーし、現在は同大の大学院に通いながら女子サッカー部でコーチを務めている大川圭為さんは、3月24日のオーストラリア戦の前に、SNS上で三笘と冒頭のやり取りがあったと告白する。

「宣言通りに決めたので、改めてすごいなと思いました。カッコ良すぎというか(苦笑)。実は私、オーストラリア戦はリアルタイムで見れなくて、薫がゴールを決めたというのはネットニュースで知りました。それで映像を見る前に『決めたらしいね』とメッセージを送ったら、『見てみろ!』と返ってきて。そしたら、2点も決めていたわけです」

ドリブルの原点は大学時代、毎日20本以上の1対1

17年の天皇杯でジャイアントキリングを起こした筑波大。前列左から2人目が三笘 【写真提供:筑波大学蹴球部】

 三笘が全国のサッカーファンに最初に大きな衝撃を与えたのは、まだ大学2年の17年度天皇杯だった。川崎フロンターレのユースに所属し、トップ昇格の打診を受けながらも「すぐにプロで活躍する自信がない」と大学に進学した三笘が、再びプロの道へ進むのをあと押しするキッカケになった大会ともいえる。茨城県代表として出場した筑波大はYSCC横浜(〇2-1)、ベガルタ仙台(〇3-2)、アビスパ福岡(〇2-1)とJクラブを次々に連破。ベスト16に進出するジャイアントキリングを起こし、大きな話題となった。

 とりわけ、三笘の存在を強く印象づけたのは当時J1だったベガルタ仙台との一戦である。開始6分、三笘は自陣でボールを持って前を向くと寄せてくる相手選手の間を縫うように一気に加速し、仙台陣内を突破していく。そして、およそ50メートルのドリブルから放たれた右足のシュートは、見事に仙台ゴールに突き刺さった。三笘は終盤にも決勝点を決め、プロ顔負けの2得点の活躍で勝利の立役者となった。

 そのプレーを見て川崎Fのスカウトで三笘の獲得にかかわった向島建さんも、ユース時代からの成長スピードに驚いたというが、それはまさに練習の賜物だったと大川さんは明かす。
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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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