満足のいくテストの場となったパラグアイ戦 森保監督の評価を得た鎌田大地と伊藤洋輝

宇都宮徹壱

パラグアイ戦のキックオフ前、80歳で死去した元日本代表監督イビチャ・オシムさんへの黙とうが捧げられた 【宇都宮徹壱】

「日本サッカーの日本化」と「ジャパンズ・ウェイ」

 6月2日に札幌ドームで行われた、日本vs.パラグアイ。試合前、先月1日に80歳で亡くなられた元日本代表監督、イビチャ・オシムさんへの黙とうが行われた。札幌ドームの代表戦での黙とうは、2011年8月10日の日韓戦以来のこと。この時は、34歳で死去した松田直樹さんに捧げられた。

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 突然の訃報から1カ月。この間、オシムさんの日本サッカー界への貢献について、さまざまな視点から語られた。それほど故人の功績は多岐にわたっていたわけだが、現在の日本代表に直結する話題でいえば、代表監督就任時に語っていた「日本サッカーの日本化」が思い浮かぶ。ヨーロッパや南米のスタイルを模倣するのではなく、日本(人)の良い部分を伸ばすことによって、日本独自のスタイルを作り上げていく――。

 この魅力的なプロジェクトは、オシムさんが病に倒れたことでいったん忘れ去られたかに見えたが、JFA内部では地下水脈のように流れ続けていた。そして4年前のワールドカップ(W杯)・ロシア大会において、突如として「ジャパンズ・ウェイ」という名で表出する。その方針を具現化するべく、22年のカタール大会を目指す日本代表の監督には、森保一氏が就任。さまざまな紆余曲折はあったものの、森保監督は4年の任期を与えられた中でW杯に到達した、初めての日本人指揮官となった。

 一見すると、唐突感が否めなかった「ジャパンズ・ウェイ」。しかしその源流をたどると、オシムさんが日本代表監督に就任した06年が起点となっている。もっとも、森保監督がピッチ上で表現しているサッカーが、故人の目指した「日本サッカーの日本化」に合致するかといえば、それはまた別の話。現代表のパフォーマンスに関する、オシムさんの評価も、今となっては分からない。

 せめてあと半年、お元気だったら――。そんな勝手なことを、つい考えてしまう。4年に一度の風物詩であった、日本代表への厳しくも温かみのあるオシムさんの提言は、もはや聞くことができない。そう思うと、あらためて寂しさが募る。

半年後の本番を見据えた日本と4年後を目指すパラグアイ

パラグアイ戦で先発出場した鎌田はヘディングによるゴールを決め、結果を残した 【写真は共同】

 さて、この日の日本のスターティングイレブンは、以下のとおり。GKシュミット・ダニエル。DFは右から山根視来、谷口彰悟、吉田麻也、伊藤洋輝。中盤はアンカーに遠藤航、インサイドに原口元気と鎌田大地、右に堂安律、左に三笘薫。そして中央に浅野拓磨。初招集の伊藤をはじめ、フレッシュな顔ぶれが並んだのは、4日後に東京・国立で行われるブラジル戦を見越してのことである。

 対するパラグアイは、10年W杯ではベスト8に進出しているが、その後は3大会連続での本大会出場ならず。決してモチベーションが低いわけではないだろうが、序盤から日本ペースで試合が進む。とりわけ右の堂安と山根、左の三笘と伊藤の突破力は効果的で、堅守が自慢だったパラグアイが防戦に回る時間が増えていった。

 日本の先制ゴールが生まれたのは36分だった。原口がドリブルで持ち上がり、前線で加速する浅野にスルーパス。受けた浅野は相手GKサンティアゴ・ロハスの動きを見極め、絶妙なループシュートでネットを揺らした。さらに42分には、右サイドで山根からのパスを受けた堂安が左足で鋭いクロスを入れ、これにペナルティーボックス内に進出した鎌田が頭で反応。弾道はロハスに当たって、そのままゴールインとなった。

 2点リードで迎えた後半、日本は積極的にメンバーを入れ替えてきた。遠藤と吉田と浅野を下げて、板倉滉と中山雄太と前田大然を投入。左サイドバックの伊藤はセンターにスライドし、ユーティリティー性が試されることとなった。しかし後半14分、その伊藤の不用意なパスミスからカウンターを仕掛けられ、デルリス・ゴンザレスのゴールで1点差と詰め寄られてしまう。

 直後の後半15分、日本は三笘のループ気味のゴールで、再びパラグアイを引き離す。相手DFを十分に引きつけ、ラストパスを送ったのは原口。この日、2アシストを決めたベテランMFは、充実した表情で田中碧と交代した。さらに日本ベンチは、後半26分に堂安OUTで久保建英IN、38分には三笘OUTで古橋亨梧IN。すっかりテストモードとなる中、後半40分には田中によるダメ押しの4点目が決まる。

 その後は危なげない試合運びで、日本が4-1で完勝。半年後の本番を見据えた日本と、4年後を目指すパラグアイ、その差が如実にスコアに反映される結果となった。いささかの物足りなさを感じないわけではないが、日本代表にとっては満足のいくテストの場であったといえよう。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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