カタールW杯も見据えるU-21代表の戦い U23アジアカップは単なる通過点ではない

川端暁彦

6月のドバイカップに参加し、優勝した経験は大きな財産だ。コンセプトの浸透を図りつつ、国際大会における選手の適応力を見極めることもできた 【川端曉彦】

 AFC U23アジアカップに挑むU-21日本代表が、いよいよ6月3日にUEAとのグループステージ初戦を迎える。ここではこの大会の成り立ちと意義を解説するとともに、チームを構成する21歳以下の精鋭たちの顔ぶれも見ていく。U-21代表の当面の目標は2年後のパリ五輪だが、大岩剛監督が望むのは「A代表を経験して五輪へ」――。だとすれば、彼らにとって今大会は、単なる通過点とはならないはずだ。

アジアの厳しさを教わるような大会

 6月3日、U-21日本代表のAFC U23アジアカップの戦いが幕を開ける――。

 ……と書いてみても、「U-21日本代表?」「U23アジアカップ?」という方も多いかもしれない。ここでは2年後のパリ五輪を目指すチームとして今年から本格的な活動を始めたU-21日本代表と、U23アジアカップについて解説したい。

 五輪における男子サッカー競技は1992年のバルセロナ大会から「U-23」の大会として開催されるようになった。96年のアトランタ大会からは女子サッカーの採用と男子サッカーにおける「オーバーエイジ3名」という特殊なルール導入が同時に決まり、今日まで大筋では同じルールで各大会が実施されている。昨年行われた東京五輪では、森保一監督率いる日本代表がメダルまであと一歩の4位という戦績を残している。

 東京五輪の延期に伴って、パリ五輪は早くも2年後。つまり2年後に「U-23」となる世代の代表チームが、今回取り上げるU-21日本代表というわけだ。今年からかつて鹿島アントラーズを率いた指揮官、大岩剛監督を迎えて本格的な強化を開始。3月には初めての海外遠征となるドバイカップU-23にも出場し、見事に優勝を果たした。

 そのチームがJリーグで活躍する選手を新たにピックアップしつつ臨むのが、今回のU23アジアカップだ。

 従来AFC U-23選手権と呼ばれていた大会だが、AFC(アジアサッカー連盟)が「アジア王者を決める大会の呼称をすべて『アジアカップ』で統一する」という方針を打ち出したため、今回から新しい呼称となっている。同様に、U-17からビーチサッカーまで、ナショナルチームのアジア王者を決める大会名はすべて「アジアカップ」となる。

 そして、2年に1度のペースで開催されるこのU23アジアカップが、単に23歳以下のアジア王者を決める大会でないのは、「五輪が開催される年の大会は五輪予選になる」からだ。今年は五輪開催年ではないので、直接的な五輪予選ではない。そのため、日本はあえて年齢制限より2つ下のチーム(つまりU-21)の代表で参加する。年上のチームと対戦することで経験値を高める狙いがあるわけだ。

 アジアの大会であれば、年上が相手でも勝てるのではと思う方もいるかもしれないが、リオ五輪世代が参加した2013年大会(第1回大会でもある)、東京五輪世代が参加した18年大会は、いずれも年下のチームで挑み、8強で敗退。どちらかと言えば、アジアの戦いが決して甘くはないことを教わるような場になってきた。

純粋な「U-21」チームでの戦いを選択

過去に年下のチームで参加した13年と18年の大会は8強止まり。それでも大岩監督は、U-21年代の選手たちだけで今大会を戦い抜く決断を下した 【スポーツナビ】

 パリ五輪予選ではない、と書いたものの、今大会の結果はパリ五輪予選のシード権には反映されるので、早期敗退となれば1次予選から厳しい組み合わせでの戦いを強いられることも予想される。できれば今大会もしっかり勝ち上がって、シード権を確保したいところではある。

 こうした点を踏まえ、日本サッカー協会は当初、年上の選手たちを疑似オーバーエイジ枠のように加えたチーム編成を企図し、実際に昨年日本で行われた予選ではMF郷家友太(ヴィッセル神戸)ら年上の選手たちを招集して戦ってもいる。

 ただ、新たに就任した大岩監督は、あくまでパリ五輪を見据えた強化を進める視点から、純粋な「U-21」チームでの戦いを選択。「非常に難しい判断」としつつも、「グループの一体感も大事にしていきたい」と、あえて年上の選手を呼ばずに戦う決断を下している。

 逆に言えば、U-21年代の選手たちだけでも戦えるという手応えを指揮官が得ている裏返しでもあるだろう。地力の高さは、Jリーグでレギュラーとして活躍する選手の多さからも見て取れるし、「収穫しかなかった」と振り返る3月のドバイカップで、ほぼ急造のチーム、しかも年下のチームで優勝を飾ったという事実がそれを物語っている。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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