水どう×ベイスターズ、映像制作者の異色対談 藤村Dが「あえて」やった事、その覚悟とは
球団公式ドキュメンタリーの企画に携わる原惇子氏(写真左上)・前原祥吾氏(写真左下)と、『水曜どうでしょう』の藤村忠寿ディレクター(写真右)の思いが通じたこととは 【スリーライト】
少数精鋭ならではの強み
前原 一つの映像作品として長編で見せて、ファンの方たちにとって1年に1回の楽しみになればというところです。一緒に制作している映像作家やクリエイターの皆さんにとって、映画になるのはモチベーションになるだろうというのも大きいですね。
原 2012年にベイスターズはDeNAという新しい母体に変わりました。いろんなことにチャレンジしていこうという気概が弊社にはありますので、業界でタブーとされてきた、ベンチの裏側を映すという新しい挑戦をしてきたという流れがあります。
藤村 正直、選手の名前は筒香(嘉智/2019年までDeNAに在籍し、翌年からメジャーリーグへ)くらいしか知らなかったけど、DVDを見たら他の選手も覚えました。
前原 それはうれしいですね。
藤村 映画ということで、すごい長尺で1年間追っているわけですよね。選手が打球を受けてケガして、ベンチ裏でトレーナーが寄ってきたときの生の会話を聞くのは珍しいからこそ、親近感が湧く。メディアがドキュメンタリーをつくる場合、いろいろ許可を取らないといけなくて、「これはやめてください」とか言われるけど、球団自らやっているから他のところはかなわないと思いました。
前原ありがとうございます。
藤村 何人くらいのチームでやっているんですか。
前原 すごく少ないですよ。監督兼カメラマンが1人。時々、サブで入ってもらうくらいです。
藤村 あれは1人じゃないとダメですよね。音声マンがいて、3、4人のスタッフになると、ああいう絵は撮れないと思う。
ドキュメンタリーならでのリアリティ
北海道から全国に広がり伝説となったバラエティ番組『水曜どうでしょう』。誕生した頃の裏話を藤村ディレクターが語ってくれた 【写真提供:HTB北海道テレビ】
藤村 だいたいのローカル番組はご近所を回って、例えば札幌であれば大通公園やすすきのに行って何か撮ってくる。日本全国の番組がそうです。僕はそれが嫌で、ローカル局だけど外に行こうと考えました。最少人数で行かないとお金がかかるから、嬉野(雅道)さんというもう1人のディレクターと、出演者の大泉洋さんと鈴井貴之さんの4人で行き、カメラマンはつけない。それは狙いとかではなく、仕方ないから。
前原 その心意気がすごく好きです。
藤村 2、3カ月分の予算を前借りしておけば、格安航空を使えば海外も行けるという計算でやりました。ちょうど1996年に番組を始めた頃、『進め!電波少年』(日本テレビ系列)で猿岩石の有吉弘行さんたちがユーラシア大陸横断の企画をやっていて、すごく盛り上がっていたんですよ。当時のビデオカメラは今より画質が悪いけど、その映像を見て「こっちの方がリアリティあるじゃん!」って。暗くて演者の顔が見えないけど、「ドキュメンタリーとして最高じゃん!」と思って。それに日本中の人が引きつけられたから、「だったらカメラマンもいらないじゃん。俺も海外行けるじゃん」という感じです。
前原 僕らも映像の質より内容にこだわりたいと思っています。映像作家はいい絵を撮りたいから、最初はぶつかりました。でも、やっていくうちにだんだん理解してもらえるようになりましたね。
藤村 今はみんな、スマホで撮っていますからね。我々の時代もビデオカメラを持って海外旅行に行っていたわけです。でもテレビ局が映像をつくろうと思ったら、スタジオを用意して、出演者はなるべく売れた人で、ロケに出るときは演者にピンマイクをつけて、ガンマイクで録る音声マンがいる。地方のローカル局でさえ、そうやらなければいけないと思っているんですよ。映像をつくる人は、やっぱりカッコいい映像や手の込んだことをやりたいと脳がなるじゃない?
前原 そうですね。
藤村 いいものを撮れるのがいいに決まっているけど、別に手持ちのカメラでもいいし、音だけでも撮れていればいい。その感覚は、カメラマンにはなかなかわからない。彼らは肩にカメラを担いで、絵を設定して、演者の顔に合わせて、ようやくカメラのボタンを押す。でも、ドキュメンタリーとしてはそれではダメ。ディレクターの発想としてはそうなります。