松坂大輔を育てた小倉清一郎氏が語る 激戦区・神奈川で「最も手強かった相手」
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一番手強かったのは桐光学園の松井裕樹
横浜高の名参謀として、小倉氏は数多くの一流プロ野球選手を育てた。98年春夏連覇の立役者である松坂も、連日のアメリカンノックで徹底的に鍛え上げたという 【平尾類】
小倉氏は、部員たちにこう伝えるという。
「神奈川県は夏の予選大会で3万人の観客が入る。こんなに熱狂的な地域は他にない。横浜を応援しているファンが2万人いるけど、アンチも1万人いるんだ。オレ1人の罵声に耐えられなくて、1万人のヤジを浴びて試合で力を発揮できるか?」
小倉氏は選手時代、横浜高で捕手を務め、同期の渡辺元監督と甲子園を目指したが叶わなかった。1977年に母校の監督に就任するが、メンバー選びの紛糾によりわずか1年ほどで辞任。横浜商で12年間コーチを務めた後、90年から横浜高にコーチとして復帰し、94年からは野球部部長に。渡辺監督とともに多村仁志(元横浜ほか)、松坂大輔(現・埼玉西武)、涌井秀章(現・東北楽天)、筒香嘉智(現・ドジャース)、近藤健介(現・北海道日本ハム)ら球界を代表する選手たちを育て上げた。
「Y校(横浜商)に行った時は『横浜には絶対負けない』って思いだったよ。でも80年夏に横浜が全国制覇してね。愛甲(猛/元ロッテほか)、安西(健二/元巨人)はオレが横浜に誘って入れた選手だったから、あいつらの活躍している姿を見た時に恨みみたいなものは消えたかな。あの時の横浜はY校と対戦するとやりにくそうだった。野球に緻密さが欠けていたしね。渡辺から『横浜に戻ってきてくれ』って言われた時は迷ったよ。でもY校で夜に学校のガードマンの仕事をやってくれって言われて。それは嫌だって戻ったんだ」
東海大相模、桐光学園、桐蔭学園、横浜商、日大藤沢、慶応、横浜隼人、横浜商大……野球王国・神奈川には強豪校がひしめく。小倉氏に強く記憶に残っている試合、選手を聞くと、よどみのない口調でこう語った。
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