連載:高校野球2021、夏の地方大会「激戦区」を占う

松坂大輔を育てた小倉清一郎氏が語る 激戦区・神奈川で「最も手強かった相手」

平尾類
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 先頃、今シーズン限りでの現役引退を表明した“平成の怪物”松坂大輔をはじめ、涌井秀章、筒香嘉智など、多くのプロ野球選手を育てた元横浜高校・野球部部長の小倉清一郎氏。渡辺元智・元監督を支え、1998年の春夏連覇を含め、3度の甲子園優勝へと導いた“名参謀”が、自身の経験した超激戦区・神奈川の厳しい戦いを振り返り、かつての教え子たちやライバル校にまつわるエピソードを余すところなく語ってくれた。横浜高に一時代を築いた、その緻密な分析と戦略に唸らされるはずだ。

一番手強かったのは桐光学園の松井裕樹

横浜高の名参謀として、小倉氏は数多くの一流プロ野球選手を育てた。98年春夏連覇の立役者である松坂も、連日のアメリカンノックで徹底的に鍛え上げたという 【平尾類】

 小倉清一郎氏は、神奈川の高校野球界における“生き字引”的な存在だ。甲子園には、横浜商のコーチとして春に3度、夏に5度出場し、母校・横浜高に復帰後は、当時の渡辺元智監督との二人三脚で、春に7度、夏に8度の出場を果たし、3度の全国制覇を成し遂げた。指導に携わり、プロへと送り出した選手は60人を超える。

 小倉氏は、部員たちにこう伝えるという。

「神奈川県は夏の予選大会で3万人の観客が入る。こんなに熱狂的な地域は他にない。横浜を応援しているファンが2万人いるけど、アンチも1万人いるんだ。オレ1人の罵声に耐えられなくて、1万人のヤジを浴びて試合で力を発揮できるか?」

 小倉氏は選手時代、横浜高で捕手を務め、同期の渡辺元監督と甲子園を目指したが叶わなかった。1977年に母校の監督に就任するが、メンバー選びの紛糾によりわずか1年ほどで辞任。横浜商で12年間コーチを務めた後、90年から横浜高にコーチとして復帰し、94年からは野球部部長に。渡辺監督とともに多村仁志(元横浜ほか)、松坂大輔(現・埼玉西武)、涌井秀章(現・東北楽天)、筒香嘉智(現・ドジャース)、近藤健介(現・北海道日本ハム)ら球界を代表する選手たちを育て上げた。

「Y校(横浜商)に行った時は『横浜には絶対負けない』って思いだったよ。でも80年夏に横浜が全国制覇してね。愛甲(猛/元ロッテほか)、安西(健二/元巨人)はオレが横浜に誘って入れた選手だったから、あいつらの活躍している姿を見た時に恨みみたいなものは消えたかな。あの時の横浜はY校と対戦するとやりにくそうだった。野球に緻密さが欠けていたしね。渡辺から『横浜に戻ってきてくれ』って言われた時は迷ったよ。でもY校で夜に学校のガードマンの仕事をやってくれって言われて。それは嫌だって戻ったんだ」

 東海大相模、桐光学園、桐蔭学園、横浜商、日大藤沢、慶応、横浜隼人、横浜商大……野球王国・神奈川には強豪校がひしめく。小倉氏に強く記憶に残っている試合、選手を聞くと、よどみのない口調でこう語った。
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著者プロフィール

1980年4月10日、神奈川県横浜市生まれ。スポーツ新聞に勤務していた当時はDeNA、巨人、ヤクルト、西武の担当記者を歴任。現在はライター、アスリートのマネジメント業などの活動をしている。

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