ブンデス史上最年少監督誕生の秘密 ライプツィヒ監督・ナーゲルスマンが抱く夢
現在はライプツィヒで監督を務めるナーゲルスマン。若きリーダーの人物像に迫る 【Getty Images】
当然、ブンデスリーガ史上最年少でトップチームの指揮を執ったわけだが、彼のすごみは、その早熟な指導者としてのキャリアではなく、備え持つサッカー監督としての傑出した才能にある。いち地方クラブの存在に過ぎなかったホッフェンハイムを1部に定着させ、初のチャンピオンズリーグ(CL)、ヨーロッパリーグ出場へと導いたのだ。その手腕を高く評価されたナーゲルスマンは、19-20シーズンにバイエルン・ミュンヘンとボルシア・ドルトムントに次ぐ存在と目される、RBライプツィヒ監督に就任した。そして昨季はリーグ戦で3位、CLではクラブ史上初の準決勝進出を果たしている。
表向きは若き野心的に映るナーゲルスマンとは、どのような人物なのか。この監督の経歴と同じくホッフェンハイム、そしてライプツィヒで番記者を務めてきたドイツ人記者が、気鋭の指揮官の素顔をつづる。
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28歳のリーダー誕生
野心みなぎるナーゲルスマン監督は、ドイツで最も将来を嘱望される指導者だ 【Getty Images】
周りの驚きはさておき、ホッフェンハイムにとってはつじつまの合う就任劇だった。ナーゲルスマンの昇進を後押ししたのはディートマー・ホップという人物だ。彼はコンピューター・ソフトウェアの大企業『SAP』社の創立者で、病院や医療研究に多数の寄付を行ってきた。そして同氏は地元のホッフェンハイムにも巨額を投資してクラブをブンデスリーガにまで押し上げ、内外の立場を確立させた。その際、彼はサステナビリティ(持続可能性)も考慮してクラブの育成部門にも投資を行っている。したがってホップにとって、クラブ内で若手監督を育てる流れは論理的だったのだ。
ちなみにナーゲルスマンは、14年にホッフェンハイムのAユースチームをドイツ国内優勝に導いている。身近でそれを見守ったホップは、この若き監督と、クラブ初のタイトルに感銘を受けた。その結果、ナーゲルスマンは将来のトップチームの監督候補の一人に加わったのである。
15年夏、盟主のバイエルン・ミュンヘンがナーゲルスマンに「Bユースチームの監督をしないか?」と誘ったときに、ホップはすぐさま行動に出なければならなかった。何しろバイエルンはナーゲルスマンにとって特別な魅力を持つクラブで、彼はミュンヘンから遠くないランドベルクという街で育ち、子供の頃からそのクラブに憧れていたのだ。
そこでホップはナーゲルスマンに、ホッフェンハイムのトップチーム監督の座を約束した。そして、この約束は当初考えていたよりも早く現実になった。16年2月にフーブ・ステフェンス監督が健康上の理由で辞任したからである。チームは降格の危機に瀕していて、ナーゲルスマンは監督ライセンス取得のための勉強に励んでいるところだった。ブンデスリーガ初挑戦となる若者にとって理想的なタイミング、そして環境ではない。しかし、当時のナーゲルスマンには考えている暇など1秒たりともなかった。
もともとナーゲルスマンはあまり思い悩む性格ではなかった。高校時代も他の生徒を引っ張っていくリーダータイプだったし、当時所属していた1860ミュンヘンでの寮生活時代も愛嬌の良いキャラクターを駆使して常に周りを盛り上げていた。遠足の準備をするときには一番に係を申し出たし、体育の授業でバレーボールをする際には、本当はどうでもいいゲームに勝つためにチームメートを怒鳴りつけたりもした。
しかし唯一、自身の情熱の源であるサッカー選手のキャリアでは理想にたどり着けなかった。何度もケガを繰り返し、特に膝のケガには大いに悩まされた。体がついていけなくなって引退を余儀なくされたとき、彼の年齢はまだ20歳だった。そしてそのすぐ後、彼は人生で考えられる最悪の宿命を乗り越えなければならなかった。父親が自殺したのである。
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