連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

兄に憧れ続けたプロ注目右腕・高橋宏斗 兄弟日本一の次は家族の夢・甲子園だった…

瀬川ふみ子

兄が成し遂げた全国制覇を見て大興奮

昨秋の明治神宮大会で高校日本一へ導き、世代ナンバーワンとの呼び声が高い中京大中京高のエース・高橋宏斗。今夏の甲子園交流試合最注目選手のひとりだ 【瀬川ふみ子】

 名古屋市近郊で生まれた高橋宏斗は、2歳のころから野球のグラウンドで育った。5つ年上の兄・伶介が7歳のときにリトルリーグで野球を始め、両親もそれについていっていたため、宏斗も必然的にグラウンドへ。小さくてかわいい宏斗は、ママたちのアイドルだった。

 最初は砂いじり。そのうち小さな手でボールを持つようになり、バットも持つようになり……。伶介が中学生になって県内屈指の強豪・豊田シニアに入ったころ、宏斗は三郷ファイターズという軟式チームで野球を始めた。

 照れくさいからなのか、言いやすかったからなのか、小さいときからずっと兄のことを「伶介」と呼ぶ宏斗。弟に呼び捨てにされても怒ることもない優しくてしっかり者のお兄ちゃんと、口数は少なくマイペースだが、いつも兄の後をついていく弟。そのころ、兄に直接言ったことはなかったが、「速い球を投げたり、よく打ったり、自分ができないことを何でもできちゃう兄は憧れであり目標。いつも兄のマネをしていました」と振り返る。

 そんな宏斗が小4のとき、すごいことが起こった。豊田シニアのエースになっていた伶介が、快投を続けてリトルシニアの全国大会出場を決め、快進撃の末、初優勝を成し遂げたのだ。

※リンク先は外部サイトの場合があります

全国制覇を果たした兄の雄姿を当時小4の宏斗はスタンドで見つめていた(スタンド応援団の左端、赤いメガホンを持っているのが宏斗) 【瀬川ふみ子】

 両親とともに東京に行って全国大会1回戦からすべて応援していた宏斗は、テレビでしか見たことがなかった神宮球場で堂々と投げる兄を見て、とても感動したという。

「本当にすごかった。自分のことのように嬉しくて、神宮のスタンドから見た兄の姿が忘れられないです」と宏斗が話せば、伶介も「試合が終わった後、スタンドを見上げたら父と宏斗が僕に向かって何度もガッツポーズして喜んでいたんです。あれはすごく印象に残っています」と振り返る。

 しかも伶介は、最優秀選手賞(大会MVP)とベストナイン(投手)をダブル受賞!

 そんな兄を見て宏斗は「僕も頑張って練習してここで優勝する! いつか伶介を抜かす!」と心に決めた。

 それが2012年8月7日、10歳の誕生日を2日後に控えた夏の日だった。

サヨナラ負けで終わった中学、高校進学は…

兄と同じ道をたどるか、自分で決めた道を進むか……中京大中京高進学を決めた心の内を語ってくれた 【瀬川ふみ子】

「勉強も、野球も、普段の生活のことも、しっかり計画を立てて正確にやりこなしていくのが兄。自分はどちらかというと、計画を立てることはあまりしなくて、感覚的に動いちゃう。兄は時間があったら勉強してるけど、自分は暇があったら寝てる感じ(笑)」

 そのぐらい対照的な兄弟だが、宏斗はちゃんと分かっていた。

「伶介をマネしていれば僕も伶介みたいな選手になれる!」と。

 だから、伶介には近くにいてもらって、ずっと見本でいてもらいたかったが、2013年3月下旬、伶介は、愛知から神奈川に旅立っていった。学業成績も良かった伶介は、慶応義塾高に見事合格したのだ。

 感情をなかなか言葉にできない10歳の宏斗は、「じゃーねー」と素っ気なく兄を見送った。

 それからは、高校野球を頑張る兄の話を伝え聞きながら、「いつか伶介に追いつくぞ」と練習を重ね、小6の秋、中日ドラゴンズジュニアに選出され、12球団ジュニアトーナメントに出場した。

 そして、中学生になると、兄と同じ豊田シニアに入部した。

「練習がキツイのも分かっていましたが、強いチームだからこそ入りたかったですし、兄と同じように全国制覇したいと覚悟を持って入りました」

 2年後、宏斗も豊田シニアのエースとなり、中3夏にシニアの全国大会に出場した。運良く、初戦から神宮球場で試合ができ、東大阪シニアに勝利。

「兄と同じ神宮の舞台に立てて勝てたことは嬉しかったんですけど、次の試合(柏原シニア戦)でサヨナラヒットを打たれて負けてしまって……そこで勝っていたらまた神宮で試合ができたのに……。自分の実力は全国から見たらまだまだだなと感じました。でも、父からも言われたのですが、全国で、サヨナラで負ける悔しさは自分にしか分からないもの。この経験を無駄にせず高校で生かそうと思いました」

 さぁ、高校をどうするか――。

 兄と同じく県外に出て野球をしたいという憧れをずっと持っていたそうだが……。

「地元の中京大中京の高橋(源一郎)先生から自分を高く評価していただいたこと、また豊田シニアの小林(晋也)監督から、『おまえは中京が合っている』と言われたこともあって気持ちが動きました。その年の中京にはレベルが高い選手が多く入ってくるということも知り、『ここでこの仲間と野球をしたら自分も成長できそう』『ここで日本一を目指したい』そう思って、最終的には自分で中京に決めました」

 こうして15歳の宏斗は、兄とは違う道へ進んだ。

1/2ページ

著者プロフィール

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント