連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

「ピンチをチャンスに変えた」2カ月間 高橋宏斗が家族の思いを乗せ、いざ甲子園へ

瀬川ふみ子
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家族の夢、春のセンバツ甲子園が中止に……

兄・伶介(右)に憧れ続けてきた弟・宏斗(左)。コロナ自粛期間中、7年ぶりに一つ屋根の下で暮らした兄弟は初めて真剣に野球の話をしたという 【写真提供:高橋伶介】

 5つ年上の兄・伶介を追って野球を始め、兄が豊田シニア時代に神宮球場で全国優勝を成し遂げたとき、スタンドで何度もガッツポーズして喜んでいた9歳の高橋宏斗。「僕もここで優勝する!」と誓いながら、中学3年時にはベスト16で敗退。だが、高校2年秋、中京大中京高のエースとして明治神宮大会(高校の部)で優勝。9歳の夏に誓った「神宮で優勝」の夢をかなえた。

 次は、兄が成し遂げられなかった甲子園。「甲子園でも優勝!」「甲子園で155キロ」そんな目標を掲げた宏斗に、年末年始に帰省した伶介がこんな声をかけた。

「夏に155キロ出すことを目指すなら、気持ちの持ち方を考えてやっていけよ!」と。

 それに対し宏斗は、いつものように「おぉ」と、聞いているのか聞いていないのか分からないような返事をしていたそうだが、「まずは春のセンバツで実力を試す」という明確な目標に向け、より熱心に冬場のトレーニングに取り組むようになった。
 だが、センバツ甲子園出場が正式に決まった後に、想像もしていない事態に襲われた。他国からじわじわ迫ってきた新型コロナウイルスの猛威が、宏斗の夢を、家族の夢を、奪うことになるとは……。そう、3月4日、春のセンバツは「無観客で開催する」と発表され、一週間後にはなんと、史上初の「中止」の決定が下されたのだ。

「悔しかったです。自分もそうですが、甲子園のマウンドに立つことを家族がとても楽しみにしてくれていたので。でも、(中止は)ある程度、覚悟できていました。世の中の情勢を見たら、仕方ないことだなって。兄からも『まだ夏があるぞ』って連絡が来て、『夏の甲子園に出て絶対日本一になるぞ』って気持ちを切り替えました」(宏斗)

 そこから感染拡大の状況はさらに悪化し、学校が休校となり、野球部の全体練習も行えないという非常事態に突入していく。

 そんなとき、慶応義塾大を卒業し、4月から大阪での新社会人生活が始まる予定だった伶介が名古屋の実家に帰ってきた。こちらも新型コロナの影響で、4、5月の2カ月間、在宅でのリモート研修になったのだ。宏斗は小4のとき以来、兄と一緒に生活することになったのだが……これが宏斗を大きく進化させる機会になる。
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