兄に憧れ続けたプロ注目右腕・高橋宏斗 兄弟日本一の次は家族の夢・甲子園だった…
明治神宮大会で兄弟優勝!
地元・愛知の名門校である中京大中京高に進んだ高橋宏斗は、めきめきと頭角を現していく 【写真は共同】
2年夏を迎えるにあたり、慶応義塾大の4年になっていた伶介から「あれだけ一生懸命俺たちに尽くしてくれる両親のためにも甲子園に行ってくれよ」と連絡があったが、甲子園出場は果たせず……。
「春の大会も自分が投げて負けてしまって、夏も自分が投げて、先輩たちの夏を終わらせてしまった。このままではダメだ……っていうところから自分の練習の姿勢を見直すようになり、考えて行動するようになりました」(宏斗)
悔しがってばかりもいられない。すぐに秋の戦いが始まる。高橋監督から投手リーダーに命ぜられたが、上に立ったことがなく、後輩を言葉で引っ張ることも苦手な宏斗はどうしていいか分からずにいた。
そんなとき、何かを察して連絡してくるのが伶介。
「兄から連絡が来たとき、どうやって周りを引っ張っていけばいいのかアドバイスしてもらおうと思って聞いたら、『姿勢で示していけ』と言ってもらいました。自分は言葉で伝えるのが苦手で、言葉では伝えられない部分もあるのですが、グラウンド内の姿勢や一生懸命やること、また、結果を残していくことで周りを引っ張ったり、鼓舞したりできるんだ、と思いました」
投手陣の練習メニューも宏斗が考えるようになり、より自覚を持って練習に取り組むようになっていった。
そして秋季大会の開幕前。宏斗が見に行ったのが、8月28日、ナゴヤドームで行われた「オール早慶野球戦」。伶介は最速149キロの好投手に成長していたが、大学4年の秋をもって野球に区切りをつけることを決めていた。そんな兄が地元で投げるとあって、宏斗は見に行ったのだ。
「あんなにたくさんの観客、大声援の中で投げている兄を見て、すごくかっこいいなと思いました。あの兄のピッチングには刺激をもらいました」
自覚に加え、兄から大きな勇気をもらった宏斗は、秋の愛知大会、東海大会と快投を続け、いずれも優勝。翌春のセンバツ甲子園の出場切符を手中にすると同時に、明治神宮大会出場も決めた。
その前日、兄の慶応義塾大も東京六大学秋季リーグ戦で優勝し明治神宮大会出場を決めており、5つ年の離れた兄弟が同じ大会に出場することになった。伶介も宏斗も「お互い野球をやってきたけど、同じ大会に出られるなんて初めてのことだったのですごく嬉しかった」と話す。
昨年秋に開催された明治神宮野球大会で兄弟そろって優勝を果たした弟・宏斗(左)と兄・伶介(右) 【写真提供:高橋伶介】
伶介は慶応義塾大の投手陣の層が厚すぎることもあり、残念ながらベンチ入りはかなわなかったが、だからこそ逆に弟・宏斗の試合を見ることができた。兄のシニアの全国大会を見に来て、9歳の宏斗が大興奮で応援していた夏から7年3カ月……今度は、22歳の兄がスタンドから見守る中、17歳の宏斗が神宮のマウンドで快投する。
明徳義塾高打線を、7回4安打零封。
「シニアの全国大会で神宮に来たとき、兄は大学の合宿があって見てもらえず、高校に入ってからも一度も生で見てもらえていなかったので、見てほしいと思っていたんです。スタンドでずっと見てくれているのが嬉しくて、試合が終わると『ナイスピッチング!』と連絡もくれて、また次、頑張ろうって気持ちになっていました」(宏斗)
そして、準決勝の天理高戦は6回からリリーフして勝ち投手に。決勝の健大高崎高戦でも4対3と1点リードで迎えた6回から登板し、9回までゼロでしのぎ、優勝に導いたのだ。
それだけではない。慶応義塾大も決勝進出。高校の部の決勝後に行われた大学の部の決勝戦で関西大を下し優勝。本当に兄弟優勝を成し遂げてしまった!
「慶応義塾大の試合は、東京から愛知へ戻るバスの中でずっと携帯で見ていました。とても嬉しかったです。その大会で兄は野球を引退することを決めていたので、寂しい思いもありました。兄の分までこれからも頑張ろうって思いました」(宏斗)
2020年正月、愛知の自宅に帰省した伶介と、短い正月休みを過ごしていた宏斗は、軽くキャッチボールをした。兄・伶介は、秋の高校日本一投手へと成長した弟とキャッチボールができることがとても嬉しく、弟・宏斗も、憧れ続けてきた兄に応援してもらえること、家族の夢「甲子園出場」をかなえられそうなことが嬉しかったという。
1月24日、センバツ甲子園の出場校が発表され、あとは夢の舞台に向けてさらにギアを上げていくだけだったが……。
そこで襲ってきたのが、新型コロナウイルス。高橋家の悲願を邪魔するのだ。
(企画構成:株式会社スリーライト)
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