連載:REVIVE 中村憲剛、復活への道

活動自粛中の中村憲剛を襲った左膝の痛み 明かされたのは「停滞ではなく後退」

原田大輔

連載:第6回

新型コロナウイルス感染症の影響でJリーグが中断するなか、中村憲剛の左膝にも異変が襲った 【(C)Suguru Ohori】

 すべては、順調に進んでいる……はずだった。

 昨年11月に左膝前十字靱帯を損傷した川崎フロンターレの中村憲剛は、12月に再建手術を行うと、着実にリハビリを進め、今年2月にはボールを蹴れるまでに回復した。

「3月上旬くらいまでは『超』がつくくらい順調に進んでいたんです。このままいけば、どんどん前に進んでいくだろうなという感触で、自分もリハビリをやっていました」

順調に回復していた左膝に突如痛みが襲う

 新型コロナウイルス感染症の影響で、2月25日にJリーグの中断が決定し、これまでの日常が一変していくなか、まるで中村も歩調を合わせるかのように“異変”に襲われた。

「SNSに『止めて蹴る』の動画をアップしたんですけど、あのときは本当に普通というか余裕しゃくしゃくとボールを蹴っていたんです」

 中村が言う動画は、3月9日にTwitterで公開されたものだ。来たボールを寸分違わずピタリと足下に止め、正確に相手へと蹴り返す姿は、あらためて中村の技術が色褪せていないことをうかがわせた。その動画は大きな反響を呼び、今日までに約67万回も再生されている。まさにリハビリが順調に進んでいるさまを表してもいた。

 ところが、である。中村が噛みしめるように言葉を紡ぎ出す。

「実はその前後から左膝に痛みを感じていたんです。ステップワークのトレーニングもしていたんですけど、ステップを踏んだときに膝が痛いなって感覚があって。でも、リハビリしていく過程では、多少、痛みが出ることもあるというので、自分としても大丈夫だろうと思い込もうとしていたんですよね……」

 それは明かされていなかった事実だった。翌日になっても、左膝の違和感は消えなかった。リハビリのメニューを続けてはいたが、左膝の痛みはなくならない。

「おかしいな、おかしいなという感じでした。こんなはずじゃなかったというか。どういうことだろう。これはやばくないかって……」

 リハビリ期間を共にしている高木祥PT(フィジオセラピスト)にも「この膝の痛みがなくならないと、先に進めない」と訴えた。家に帰ってからは妻の加奈子さんに、「膝の痛みがなくならないんだよね」と、不安を吐露する回数も増えた。

「それでも、ここまで順調に来ていただけに立ち止まってしまうのが嫌だったんですよね。ここまでうまくいきすぎていたところもあったので、自分を止められなかったところもあります。痛みもあるけれど、それを解消しながら続けていくメニューを組んでもらったんです。でも、今思えば最初に痛みが出た時点で1回休むべきでした」

できていたメニューが徐々に減っていく

 復帰に向けて、順調にリハビリが進んでいただけに、自然と先を見据えるようになっていた。このくらいの時期には、全力でダッシュやスプリントができるだろう。ここまで到達すれば、シュート性の力強いボールが蹴れるはずだ。こうなれば、チームの練習に部分合流できることになる。自分への期待は否応なしに膨らんでいく。

 そんな矢先に、突如表れた左膝の違和感に、ここまでの順調な流れを止められたくないと、目を背けたくなる気持ちは、痛いほどに分かった。

「勝手に周りからの期待も感じていたというか。自分もその期待に少しでも応えたいという思いが強かったんですよね。それにずっとうまくいっていたから、『気のせいかも』と信じたくない気持ちもあった。だから、この(左膝の)痛みが早く消えてほしいな。でも、消えないな。おかしいな。そんな日々をしばらく過ごしていたんです。でも、あるとき、ジョギングをしようと思ってグラウンドに出たんですけど、左膝が痛くて3分も走れなくて……。自分の身体にいら立ったというか。ふざけんなよって感じですよね。何なんだよ、これ!って」

 思い通りにならない左膝に、焦りもあれば、いら立ちを覚えた。リハビリ中の唯一の楽しみでもあったボールを使ってのパス交換、さらにジョギング、筋トレ……できていたトレーニングの項目がひとつひとつメニュー表から消え、徐々にやれることが減っていった。

 中村は高木PTに作成してもらっているトレーニングメニューの記録を振り返りながら言った。

「ある日を境に、トレーニングメニューの表がなくなっていますからね。痛みが引くまで、一度、全部のトレーニングをやめようという話になったんです」

 順調に来ていたはずのリハビリ生活が、初めて立ち止まることになった。

「停滞どころか、後退でしたよね」

 そこからしばらく、中村は痛みを抑えるため、何もしない日々が続くことになった。

 さらに不運が重なっていた。全国的に新型コロナウイルス感染症が拡大し、Jリーグはさらに中断することが決まっていた。緊急事態宣言が発令され、川崎の練習場も感染防止の観点から一時閉鎖されることになった。選手たちは活動自粛となり、各々、自宅でトレーニングを行うことになったのである。

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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