連載:REVIVE 中村憲剛、復活への道

中村憲剛が初めてこぼした弱音 何より欲していた前進の手応え

原田大輔
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きつかったと回想する2次キャンプ

左膝前十字靱帯を損傷してから約3カ月ぶりにボールを蹴った中村憲剛は笑顔が止まらなかった 【Daisuke Harada】

「正直、きつかったです」

 思わず、「自転車にも乗れるようになったし、ゆっくりとだけど走れるようになっているよね」と、問いかけるようにフォローした。

 すると、中村憲剛はもう一度、繰り返した。

「めちゃくちゃきつかったです」
 舞台を沖縄に移して、2月1日から行われた2次キャンプについてだった。

「新しく追加されるメニューがひとつもなかったんです。1次キャンプでは、途中からジョギングができるようになったり、自分の中にもそれなりにトピックがあった。2次キャンプでもジョギングはしていたけど、以前と比べて変化があるわけじゃなかった。しかも、ジョギングの距離が長くなるから、身体にもそれなりに負荷がかかっていたんです。移動も宿舎と練習場の往復だけなので、なかなか頭が切り替わる瞬間がなかったんです」

 リハビリを始めてから初めて聞く、中村の弱音だった。

「家に帰れば、子どもたちと過ごしたり、話したりすることで、頭や気持ちが自然と切り替わるじゃないですか。キャンプでは、そうした時間を作ることができなかった。チームメートが練習している姿を横目で見れば、ちょっとずつ試合に向けたものになっていることは分かる。そこには変化があるんです。それを見て『いいな』と思ってしまったりして……。自分は変わることなく、日々同じメニューの繰り返し、繰り返し。一度、自転車に乗って海まで出掛けたこともありましたけど、それもトレーニングの一環なので、身体としてはきつくて」

 1次キャンプのときとは、気持ちとでも言えばいいのだろうか、心境は一変していた。

「2次キャンプでも練習試合が組まれていましたけど、試合を見ている分には、自分もボールを蹴りたいとは思うけれど、楽しかったんです。川崎フロンターレがシーズン開幕に向けてどうやって進んでいくのか。自分なりに外から見ていて分析できるところもあったので、それをノボリ(登里享平)やショウゴ(谷口彰悟)、リョウタ(大島僚太)といったチームメートと話す機会もありました。自分がその中に入ったとき、どうプレーすれば生きるかを考えながらも、チームが少しでも良くなればと、外から見た視点や印象を伝えたりもしました。だから、試合を見ることやサッカーしているところを見るのは、苦ではなかったんですよね」

変化のないリハビリに苦悩した日々

 彼が求めていたのは、自身のメニューの変化であり、己が前進しているという手応え、実感だった。

「どこかで期待してしまっていたところもあったのかもしれない。1次であれができて、これができるようになったから……2次もって。でも、(沖縄では)それがなかった。救われたのは、気候が良かったことくらい。キャリアを振り返ってみても、過去最高にきつかった……そもそも、サッカーができない状態なので、それだけでもワーストの部類に入るんですけどね」

 大部屋で生活していた宮崎での1次キャンプとは異なり、沖縄での2次キャンプはひとり部屋だったことも追い打ちを掛けた。本人は「大部屋だったらもっとつらかったですよ」と言って苦笑いを浮かべたが、ひとりで過ごす時間も多く、考える機会が増えたことも精神的な苦痛に拍車を掛けた。

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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