活動自粛中の中村憲剛を襲った左膝の痛み 明かされたのは「停滞ではなく後退」
不安を覚えた中村を支えてくれた家族
「たぶん、この時期は精神的にも病んでいたと思います。病んでいましたね……。いろいろな意味で先が見えなくなった状況でしたから」
これ以上は思い出したくないと言わんばかりに中村はつぶやいた。
そんな彼を支えてくれたのは、他でもない家族だった。緊急事態宣言が発令され、多くの人が自粛生活を続けているなか、「自分にも何かできることはないだろうか」と、ピコ太郎が公開した手洗いソング『PPAP-2020-』を家族と一緒に撮影してSNSに投稿した。子どもたちと一緒にダンスを踊れば、自然と笑顔になり、痛みだけでなく、不安や焦りを一時だけでも忘れることができた。また寄せられたファン・サポーターからのコメントを見れば、逆に自分自身が励まされ、勇気づけられもした。
「この時期、僕は妻や子どもたちに本当に助けてもらいました。『パパ、膝大丈夫?』『パパの膝が早く治りますように』って子どもたちが常に声をかけてくれて。自分たちだって学校や幼稚園に行けなくなってストレスもあっただろうに、いつも元気で明るい子どもたちに本当に救われました。妻ともこれまで以上にコミュニケーションを取ることができましたし、家族の絆は今までよりも深まったと思います。
またSNSでは、ファン・サポーターのみなさんに助けられました。Jリーガーとしての自分の存在意義を自問自答しているところにこの膝痛でしたから……。葛藤してました。でも、みなさんからのメッセージやコメントに励まされ、背中を押されました。自分の存在意義をあらためて感じることができましたし、ありがたかったです」
自分自身の身体ととことん向き合った
リハビリを担当してくれている高木祥PT(右)とは自粛期間中もオンラインでコミュニケーションを図ってきた 【(C)Suguru Ohori】
「4月になったら病院で検査してもらう予定だったんですけど、新型コロナウイルス感染症の影響も考慮して、病院にも行けない状況になった。だからもう、自分で痛みの原因を調べるしかないなって思ったんですよね。自粛した生活を送っていたので、時間だけはありましたから。自分の足をとにかく触って、筋力の左右差を確認したんです。膝はもちろん、足首からお尻くらいまでの筋力差をとにかく確認してみたら、左足の脛(すね)の筋力が弱いと感じたので、そこを強化してみたり……。とにかく自分でいろいろと探していました」
これでもかというほど、自分自身の身体に向き合った。オンラインではあるが、高木PTはもちろんのこと、ドクターにもアドバイスをもらい症状が改善される可能性があることには、すべて取り組んだ。
高木PTが言う。
「筋力を一番つけなければいけない時期に、トレーニングができず、マシンを使うこともできなかったんです。しかも、症状が残った状態で自粛期間に入ってしまった。その後もコミュニケーションは取るには取っていたんですけど、実際に膝を触ったり、診ることはできなかったので、本人から聞いた情報からしか答えることしかできなかったんです。本来、症状があるときこそ、サポートしてあげなければいけないのに、それができなかったことは本当に悔やまれます」
中村は、自分なりに試行錯誤しながらも出口を見つけようとしていた。ようやく痛みが癒えて、自宅でのトレーニングが始められるようになると、間もなくしてクラブハウスでのトレーニングが再開されることになった。
高木PTが中村の状況を説明してくれた。
「自粛期間中もやっぱり膝の症状が気になってしまって、思った通りの負荷をかけられなかったと思うんですよね。クラブハウスでトレーニングを再開したとき、憲剛さんの身体の状態を見て、それを実感しました」
中村本人も「停滞というよりも後退」と語ったように、一から身体を作り直さなければならなかった。
「術後にやってきたリハビリをもう一度、やるみたいな感じです。それくらいやらないと負荷はかけられない。だから、復帰はまだまだ先だなって思います」
Jリーグが、チームが、再開に向けて動き出したとき、中村もまたリスタートを切ることになったのである。
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