連載:日本野球改革案〜団野村が伝えたいこと〜

伊良部“騒動”が生んだポスティング制度 尊重されるべきは「選手の意志」

中島大輔
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ヤンキースこそ伊良部秀輝の夢

ポスティング制度が導入されるきっかけとなったのが、伊良部のヤンキース移籍だった 【Getty Images】

 現在、日本人のプロ野球選手がメジャーリーグを目指す場合、その道は大きく二つある。海外FA権を取得するか、ポスティング制度で入札されるかだ。

 過去5年を振り返ると、FAで移籍したのは平野佳寿(オリックス→ダイヤモンドバックス)のみだ。対してポスティングは前田健太(広島→ドジャース)、大谷翔平(北海道日本ハム→エンゼルス)、牧田和久(埼玉西武→パドレス)、菊池雄星(西武→マリナーズ)の4人がいる。海外FA権は取得までに9年の時間がかかり、ポスティングなら球団に譲渡金が入ることを考えると、双方にとって後者のほうがメリットは大きいのだろう。

 ただし、ポスティングには大きな問題がある。そう指摘するのは、代理人の団野村だ。

「ポスティングは結局、球団の意思で決まります。球団が行かせたいときに行かせる。選手は行きたいときに行けない。選手に権利がないことが、ポスティングの一番の問題です」

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 ポスティング制度は1998年、「日米間選手契約に関する協定」が調印されて成立した。きっかけは、伊良部秀輝のニューヨーク・ヤンキース移籍を巡る“騒動”だった。

「メジャーでプレーしたい気持ちはあります」

 95年夏、知人を介して面会を申し込んできた団に、伊良部はそう話した。当時、日本最速の球速158キロを誇り、前年に最多勝を獲得した伊良部はメジャーでも成功できると、団は確信を持っていた。

 翌年夏、両者はアメリカへの道を求め始める。伊良部は所属先の千葉ロッテの広岡達朗GMと関係がうまくいかなくなり、球団への不信感を膨らませた。

「子どもの頃から夢だった、ヤンキースでプレーしたいです」

 伊良部が自らの希望を伝えると、「トレードなら」という条件でロッテは了承した。伊良部は95年から2年連続で最優秀防御率に輝く活躍を見せていたが、その放出をあっさり認めるほど、両者の関係は修復不可能になっていた。

「メジャーに行かせてもらえるなら、ヤンキースが伊良部の夢です」

 代理人の団が伝えると、ロッテの球団代表は「わかった。ただ、今は答えられない」と結論をボヤかした。団が「ヤンキース以外なら、来年のキャンプに参加しません」と伝えると、「最終的には球団の判断だ」と交渉は堂々巡りを繰り返した。

「好きな球団に行かせてあげるから」

 96年12月末にそう言われたが、年が明けて1月中旬、呼び出された都内のホテルで「行き先を決めたから」と告げられる。

「パドレスにトレードした」──。
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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

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