21世紀はまさに「大阪桐蔭の時代」 際立つ勝負強さと、指揮官の人心掌握

楊順行

63勝のうち、56勝が21世紀に挙げたもの

2012年、18年と2度の春夏連覇。21世紀は「大阪桐蔭の時代」といえるだろう 【写真は共同】

 21世紀は、大阪桐蔭の世紀である。

 今年の夏は大阪大会準々決勝で敗れたとはいえ、甲子園通算で歴代10位タイの63勝(12敗)を挙げている大阪桐蔭。初出場は1991年センバツだから、歴史は比較的新しい。そのうえ、63勝のうち56の白星が21世紀のものだ。試みに2001〜10年、そして11年から現在に区切ると、ことに11年以降がすさまじい。8年間にセンバツ3回、夏3回の優勝を記録し、通算41勝5敗。PL学園は、黄金期にあった1980年代に44勝4敗、春夏それぞれ3回の優勝があるが、大阪桐蔭はPLに続く史上3校目の春連覇、さらにPLも達成できなかった2回の春夏連覇を10年代だけで成し遂げている。

 で、スポーツナビが実施してきた「ファンが選ぶ! 高校野球・最強チームランキング」アンケートでは、21世紀部門は大阪桐蔭の2回の春夏連覇のうち18年が1位、12年が僅差で2位に入った。17〜18年のセンバツも連覇している根尾昂・藤原恭大世代が、藤波晋太郎・森友哉らのいた12年をわずかに抑えたわけだ。

 20世紀のランキングでは、83〜85年に優勝2回、準優勝2回というKKのPL学園が、87年に春夏連覇した立浪和義世代を上回っている。大阪桐蔭をPLになぞらえれば、18年がKK世代、12年が立浪世代という位置づけになるかもしれない。

18年世代の事前評価は「歴代10番目くらい」?

2018年の大阪大会準決勝では絶体絶命の状況から逆転勝ち。勝負所での強さが際立つ 【写真は共同】

 しかし、だ。

「西谷先生からは、18年のセンバツで優勝するまで、"オマエらは歴代10番目くらいや"と言われていましたけどね」

 とは、今年の都市対抗でベスト8に進出したNTT西日本の小泉航平である。18年の春夏連覇に貢献した、大阪桐蔭の正捕手。西谷先生とはむろん、大阪桐蔭・西谷浩一監督のことだ。およそ20年の監督歴で甲子園通算54の勝ち星は、渡辺元智、前田三夫、馬淵史郎らキャリアの長い名物監督を上回る歴代3位にあたる。55勝9敗の勝率.859も驚異的で(なにしろ、4勝1敗の準優勝では勝率が下がる)、これはPL黄金期を率い、アンタッチャブルといわれた中村順司の.853をもしのぐ。

 その西谷監督、大らかな体格とはうらはらに、選手掌握法が実に細やかだ。18年のメンバーには根尾、藤原のほかにも中川卓也、山田健太、柿木蓮と、旧チームからの主力がずらりと残っていた。怖いのは慢心。だからこそ、のちには最強世代と呼ばれることになるメンバーに対し、"歴代10番目"というランク付けで反骨のエネルギーをあおったのだろう。西谷監督の言葉のマジックは、藤浪世代も証言している。

「間違っていることはひとつも言わないので、(選手が)素直になっていく」(藤浪)

「寝言でも野球のことを言うくらい、野球一色の人。選手たちの信頼度はマックスです」(沢田圭佑)

 選手に分かりやすいたとえ話も、心に響く。試合展開を綱引きに見立て、「前半は腰を落として低く構え、耐えて耐えて後半勝負や。相手の力が一瞬ゆるんだところで一気に引け!」。大阪桐蔭といえば、8回進出した甲子園の決勝で負けがないように、勝負どころで無類の強さを見せる。18年のセンバツなら、三重との準決勝は1点を追う9回裏、1死一、二塁から小泉の適時打で同点に追いつき、12回裏2死から藤原の二塁打でサヨナラ勝ち。夏の大阪大会でも、履正社との準決勝は1点を追う9回表、2死走者なしからしぶとく4連続四球などでひっくり返していた。

 夏の甲子園では相手に一度もリードを許さずに優勝した12年も、センバツでは大ピンチがあった。花巻東の大谷翔平を攻略して勝ち上がってきた浦和学院との準々決勝。1対1の7回裏に、3連打で無死満塁のピンチに追い込まれると、6回から沢田を救援していた藤浪に火がついた。渾身の150キロのストレートなどで、後続を三者三振である。8回にはエラーがからんで1点を失ったが、9回1死走者なしからうっちゃり勝ち……。藤浪はこう、振り返っている。

「9回、先頭の森がヒットを打ちながら二塁を狙ってアウト。痛いな……と思いましたが、逆になぜか、あそこで"いける"って気になったんです」

 まさに西谷監督のいう、「耐えて耐えて後半勝負!」。横綱相撲が多いので目立たないが、こういう土壇場での強さも21世紀の大阪桐蔭を支えているわけだ。

05年駒大苫小牧が3位、続くのは興南

怪物2年生・田中将大を擁して夏2連覇を果たした、05年の駒大苫小牧が3位 【写真:岡沢克郎/アフロ】

 ランキングでは、04〜06年夏にかけて14勝1敗1分けで、夏の甲子園3連覇の大偉業寸前までいった駒大苫小牧が3位。夏の3年間で14勝というのは、83〜85年、KK時代のPL学園(16勝1敗)に肉薄するものだ。04年には大会最高チーム打率.448と打ちまくり、連覇した05年夏の準決勝では、平田良介のいた大阪桐蔭に最大5点差を追いつかれたが、延長10回で振り切った。その駒苫の3連覇を阻んだのが06年の早稲田実で、これはハンカチ王子・斎藤佑樹の印象もからんでランキング5位に入っている。

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 その1つ上が、島袋洋奨らがいて10年に史上6校目の春夏連覇を果たした興南だ。春夏連覇は1962年の作新学院を皮切りに、2000年まではほぼ10年に1校ペースで達成されてきたが、10年代はすでにのべ3校。そのうち2回を大阪桐蔭が成し遂げている。夏の甲子園101回目以降も、大阪桐蔭の世紀となる――だろうか。
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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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