大阪桐蔭時代は08年の横浜戦で始まった 高校野球 歴代最強校はどこだ?(6)

楊順行
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08年夏の横浜戦、森川のスクイズで三塁走者・浅村が生還した瞬間。この時、西谷監督は勝利を確信した 【写真は共同】

 2008年夏制覇、12年春夏連覇、14年夏制覇、そしてプロ野球で活躍する多くのOBたち……。27日の大阪大会準々決勝で大阪偕星学園に敗れ、史上初の大阪4連覇は逃したものの、大阪桐蔭はここ数年の高校球界を語る上で欠かすことはできない。
 高校野球100年の節目に、歴史を彩ってきた強豪校の強さ・魅力に迫っていく特別企画。最終回となる今回は現代の最強校、大阪桐蔭の強さの秘密に迫る。

西谷監督を揺さぶった横浜・小倉部長

 29勝4敗。平成20年代に入ってから、大阪桐蔭が甲子園で残している成績だ。優勝が夏3回、春1回、そのうち12年(平成24年)は史上7校目の春夏連覇。この数字は「指導者になったころは、どうやってPL学園に勝つかを考えてきた」(西谷浩一監督)という、そのPL黄金の80年代(44勝4敗、優勝6回)に迫る。

 転機は、平成20年(08年、以下西暦に統一)の夏にあったのではないか。それまでも、大阪桐蔭は91年に春夏の甲子園にともに初出場し、夏は優勝を飾っていた。だが、次の出場は春夏ともに00年代に入ってから。PLや北陽高(現関大北陽高)などの列強の中で、新興勢力的な位置づけだった。だが辻内崇伸(元巨人)、平田良介(現中日)、中田翔(現北海道日本ハム)らを擁して4強入りした05年夏あたりから、大阪でも抜きんでた存在になりつつあった。08年夏は、5度目の出場だ。

 浅村栄斗(現埼玉西武)らの打線が好調で、進出した準決勝の相手は、横浜高(神奈川)だった。06年の夏には11対6で勝っているが、西谷には、春夏6回の優勝を誇る名門に圧倒された思いしか残っていない。スクイズのサインを出すと、横浜の小倉清一郎部長(当時)が、さもそれを見破ったかのようなシグナルを出した。西谷は、慌てて取り消しのサインを出す。だが実は、小倉の動きはダミー。名門であり、圧倒的な実績を持つ横浜の圧力に、反応が過敏になってしまっていた。


 迎えた再戦。筒香嘉智、倉本寿彦(いずれもDeNA)らを擁する横浜に5対3とリードするが、試合はまだ分からない。7回だ。スリーバントスクイズを敢行した大阪桐蔭が、6点目をもぎ取る。

「どこかで勝負をかけようと思っていたんです。それが、3番・森川(真雄)のスクイズ。横浜ベンチを見たら、渡辺(元智)先生と小倉先生が“ああ……”みたいな顔をされていて。あれで“いける!”と思いました」(西谷)

 新興勢力と名門。戦国絵巻でいえば、織田信長が今川義元を破ったようなこの試合で、大阪桐蔭時代が幕を開けたのかもしれない。

 そして大阪桐蔭はこの大会、決勝戦最多得点タイ記録の17対0で常葉菊川高(静岡)を下し、2度目の天下取りを果たすことになる。1番を打つ浅村が大会記録にあと3本と迫る16安打、4番の萩原圭悟が大会タイの3試合連続本塁打、そして大会新の通算15打点を記録し、チーム打率も4割を超すなど、強力打線は1試合平均10.3点をたたき出した。
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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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