駒大苫小牧を王者に変えた前年の悔しさ 高校野球 歴代最強校はどこだ?(4)

楊順行
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04〜06年、2連覇と準優勝を果たした駒大苫小牧。田中将大(左)という大エースを擁しながら、チーム一丸とした戦いぶりが特徴のチームだった 【写真は共同】

 長い高校野球の歴史の中で深紅の大優勝旗が津軽海峡を越えて、北海道に渡ったのは2004年のことだった。そのチームこそ、駒澤大付属苫小牧高。04年に優勝すると、翌年は連覇、さらに06年も準優勝と、3年連続決勝進出という好成績を残した。
 なぜ、北海道から強豪校が生まれたのか? その時の強さとは? 高校野球100年の節目に、歴史を彩ってきた強豪校の強さ・魅力に迫っていく特別企画。第4回は04年〜06年の駒大苫小牧を振り返る。

九州出身の指揮官が捨てた北海道の常識

 14勝1敗1分け。04〜06年の夏に、駒大苫小牧が甲子園で記録した成績である。04、05年と夏を連覇し、06年は早稲田実業高(西東京)との決勝を引き分け再試合。敗れはしたものの、73年ぶり、史上2校目の夏3連覇という大偉業寸前までたどり着いている。夏の3年間で14勝というのは桑田真澄(元巨人など)、清原和博(元西武など)のいた1983〜85年のPL学園高(大阪)の16勝1敗とほとんど肩を並べる。

 つまり、このときの駒大苫小牧は、PLに匹敵する強さだったということだ。しかし、PLがすでに強豪だったのと違いがある。駒大苫小牧は、北海道勢として初めて優勝する04年までは、甲子園未勝利だった。64年の学校創立と同時に創部した野球部は、3年目の66年夏、当時の最短記録で甲子園に出場したが1回戦で大敗し、その後は甲子園から遠ざかる。

 そこへ94年11月に就任したのが、当時24歳の香田誉士史監督だ。母校・佐賀商高のコーチとしてその年の夏、全国制覇に貢献した直後である。

 九州出身の若き指揮官は、「北海道の野球を早く覚えろ」という周囲の声に違和感を抱いた。確かに冬の気温は氷点下10度以下に下がり、積雪のある北海道では、室内での練習が一般的だ。だが狭い室内では、ボールを使っても限界があり、空間認識などは実戦感覚から遠ざかる。ひと冬越すと高校生はサインすら忘れるなど、また一からスタートするしかなかった。

「それでいいのか……」

 香田は、当時北海道・白老町のクラブチーム・ヴィガしらおいを率いていた我喜屋優(2010年、興南高の監督として春夏連覇)を訪ねた。沖縄出身ながら、社会人の大昭和製紙北海道では74年の都市対抗野球大会優勝を経験しており、なぜ勝てたのかを知りたかった。痛感したのが、冬を言い訳にしない、ということだ。そのために取り組んだのが屋外での雪上ノックであり、真冬の紅白戦。それまでの常識を、かなぐり捨てたのだ。
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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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