【週刊グランドスラム291】新監督に聞く2025──number4宮澤健太郎(ENEOS)
「ENEOSの宮澤健太郎さんは、監督になりますか?」
ある時は長年の社会人野球ファンから、ある時は現役時代をともにした他チームの監督から、またある時は同業者から。その度に、時代を代表する存在だったのだと実感した。
大久保秀昭監督が就任した2006年から名門の主将を担い、2008年の都市対抗で13年ぶりの優勝を果たすと、2012、13年は53年ぶりに都市対抗連覇の偉業を成し遂げる。2012年は日本選手権でもダイヤモンド旗を手にしており、全国3連覇と圧倒的な戦績を残した。
最強チームを率いたキャプテンシーだけでなく、都市対抗、日本選手権とも首位打者賞を獲得。2009年のワールドカップでは日本代表にも選出されるなど、勝負強い攻守で社会人ベストナイン三塁手も2回獲得している名選手だ。1980年生まれの世代は松坂大輔(現・埼玉西武)を中心に語られているが、社会人では宮澤の世代と認識されていると言っていい。
そんなスターも33歳だった2013年限りでユニフォームを脱ぐのだが、決してパフォーマンスが衰えたのではなく、「早く宮澤を社業に」という声が社内で大きくなったから。都市対抗3連覇に向かう大事な時期にもかかわらず、物わかりよく現役を引退すると、野球と同様に社業にも邁進する。
宮澤のいない社会人野球も早足で歴史を重ねていくが、そこに名門の姿はなかった。2016年から4年連続で都市対抗出場を逃すと、母校・慶應義塾大を指揮していた大久保監督が復帰し、2022年にはV字回復の黒獅子旗を達成。その頃から、「次は宮澤監督ではないか」という空気が醸成されてきた。そうして昨年、11年ぶりにヘッドコーチとしてユニフォームに袖を通し、満を持して監督に就任した。
「おめでとう」より「ありがとう」と言われる世界の魅力
「監督という役割は、生半な覚悟で引き受けられるものでないのはわかっていました。しかも、都市対抗最多優勝の名門チームで、前任は名将と呼ばれた大久保監督。プレッシャーは大きいけれど、現役時代に何度か日本一を経験させていただいた時、周囲の方々から『おめでとう』と同じくらい『ありがとう』と言われたのをよく覚えているんです。そんなやりがいのある世界に再びかかわれるチャンスがあるのなら、思い切って飛び込んでみようと思いました。もちろん、家族の理解があってこそで、そこは心から感謝しています」
野球人・宮澤の凄さを象徴する場面がある。2013年に連覇をかけてJR東日本と激突した都市対抗決勝。初回の先頭だった石川 駿(元・中日)は、JR東日本のエース・吉田一将(現・台鋼ホークス)に3球三振に打ち取られる。ダグアウトに戻って来た石川は、宮澤に「吉田はどう?」と聞かれると、「速過ぎて見えません」と答える。すると宮澤は言った。
「そうだろう、それくらいじゃなきゃ面白くないよな」
そして、直後の打席で痛烈なライナーを放つと、打球は吉田を直撃して降板させてしまう。時には言葉で、時にはプレーでチームを牽引し、名将に率いられながら選手が自立したチームを築き上げた。
「引退して社業に就いている間、大久保監督が勇退すると残念ながらチームは勝てなくなってしまった。社内やお客様との会話の中で、野球部の話題が少なくなるのは本当に寂しい。そして、大久保監督が復帰して、2022年に黒獅子旗を奪還して、また野球の話題が増えてきた。それはしっかり守っていきたい。そのためには、凡事徹底という伝統を継承することからですね。監督業も、最後までやり切ります」
宮澤監督が率いるENEOSの戦いは、3月8日の東京スポニチ大会リーグ戦第1戦、午前9時開始のJR西日本との対戦で幕を開ける。
取材・文=横尾弘一
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