連載:日本バスケの歴史を変える男の物語

八村塁の後悔「こんなに大変だったとは」 それでも…バスケの神様は見ていた

丹羽政善
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八村は「レッドシャツ」を望まず

ゴンザガ大1年目、NCAAトーナメント決勝まで進出したが、八村塁の出場は限られていた 【Getty Images】

 アメリカには、カレッジアスリートのモチベーションを上げるために使われる言葉が2つあるという。

 1つは「レッドシャツにするぞ」。

 レッドシャツとは練習生のこと。学校の成績がNCAA(全米体育協会)の定める基準に達していなかったり、ヘッドコーチの判断で、試合でプレーするレベルに達していないと見なされれば、そんな処置が下る。

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 その他にもさまざまなケースがあり、選手から求める場合もある。

 メリットがないわけではない。まずはじっくり大学の授業に適応する時間が与えられる。また、大学のレベルでプレーするための準備ができる。試合には出られなくても、先を見据えれば、プラスに働く可能性もある。

 が、本音では、誰だって試合には出たい。大学フットボールではルールが変わり、レッドシャツの選手でも年間4試合までは出られるようになったが、選手らは「レッドシャツにするぞ」と脅されれば、「このままじゃヤバい!」と気合いを入れ直す。

 八村塁も当初はレッドシャツで、という話があった。

 日本から来たばかりで、おそらく大学の授業には、ついていくだけで精いっぱい。まずは、勉強もバスケットボールも、ゆっくりとアジャストする時間を与えようと、大学側が考慮した。ただ、八村がそれを望まなかった。英語のレベルに関しては基準をクリア。試合に出たい一心だった。

勉強とバスケの両立に苦悩した1年目

2016年5月、八村は米国挑戦を発表。勉強とバスケの両立を決意した 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 しかし彼は、そのことを後悔することになる……。

 3年生になって、NBAのドラフト候補として名前が取りざたされるようになると、ESPNなど、米主要メディアからも取材を受けるようになった。あるとき、ESPNの電子版に載った記事を読んでいると、八村がこうコメントしていた。

「こんなに大変だと分かっていたら、来なかった」

 本音? それともジョーク?
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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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