私の生涯最高のサラブレッド 憧れの舞台で出会ったアメリカンファラオ
37年ぶりの米国三冠馬
2018年2月5日アッシュフォードスタッドでのアメリカンファラオ。私が今まで見てきたなかで最高のサラブレッドだと確信した日でもある。 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】
5月の第1土曜日のチャーチルダウンズ競馬場において世界で最高の2分間とも言われるケンタッキーダービーから始まり、それからたったわずか中1週で二冠目のプリークネスステークス、さらにそれの二冠目から中2週で距離もケンタッキーダービーから約400メートル延びる最後のベルモントステークスがある。
異なる形状の競馬場、そして長距離移動を克服してわずか1カ月強の間に3つのレースすべてを勝つことで、アメリカでは三冠馬と認められる。アメリカの三冠はかなり高い水準のタフさも要求され、1919年にサーバートンが史上初の三冠馬に輝いてから昨年のジャスティファイまで、これまで13頭の三冠馬が誕生している。
1978年にアファームドが11頭目の三冠馬となって以後、37年もの間、アメリカでは三冠馬が誕生しなかった。その間にも、日本の競馬に決定的な変化をもたらしたサンデーサイレンスをはじめ、シルバーチャーム、スマーティージョーンズ、カリフォルニアクロームなどアメリカ競馬史に名を残した名馬たちが二冠を制して挑戦したが、ことごとく跳ね返されてしまった。
その三冠馬空白の長い年月に終止符を打ったのが、アメリカンファラオ(American Pharoah)だった。
2012年にケンタッキー州のストックプレイスファーム(生産者はザヤトステーブルズ)で誕生した同馬は、父パイオニアオブザナイル(G1サンタアニタダービー勝ち。種牡馬として同馬の他にも多数のG1馬を輩出)、母リトルプリンセスエマ(その父ヤンキージェントルマン)の血統。テイラーメイドファームがコンサイナー(主に馴致、調教、売買の取引の業務をオーナーに代わって行う者、業者)を務めたのち、生産者であるザヤトステーブルズの所有となり、2歳時にその名をアメリカのみならず世界でもとどろかせるボブ・バファート調教師のもとに入厩した。
管理していたボブ・バファート調教師。2頭の三冠馬(アメリカンファラオ、ジャスティファイ)をはじめ、数々の名馬を手がけてきた。 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】
ともあれ、そのアメリカンファラオの産駒が今年、いよいよデビューする。その前に彼との忘れられない思い出を、この場をお借りして皆様にお伝えしたい。
憧れていた舞台デルマーで
デルマー競馬場に私は、それまでずっと憧れを抱いていた。
実は英文でもブログを書いているのだが、それを読んだアメリカ人の競馬ファンの方がサラブレッドタイムズ(現在は廃刊)というアメリカの競馬雑誌を送ってくださったのだ。2009年の夏のことだった。
その中に、ゼニヤッタがデルマーのG1クレメントLハーシュハンディキャップを勝った記事と写真があり、当時の私は
「デルマーってどのようなところだろうか? ゼニヤッタの名前は聞く。しかし、このネット社会で日本でのアメリカ競馬の報道は大変少ないように思う。だからどのようなところなのか一度ぜひ確かめてみたい!」
という気持ちを抱き始めた。このあたりを境に、私のアメリカ競馬への興味が強くなっていったと、現在では思う。
その5年後、いくつものめぐり合わせが重なって、その夢がついにかなった。そして私は約1ヶ月半もの間、毎週水曜日から日曜日まで開催される、憧れていた夢の舞台を必死に動き回った。
かつては憧れ、現在はまさに『もう一つの故郷』となったデルマー競馬場。 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】
競馬場とウィナーズサークルで勝利馬の口取り撮影の契約をしているトラックフォトグラファーも
「このアメリカンファラオはバファート調教師もかなり期待しているみたいだぜ」
と、手に持っていたレーシングプログラムを指しながらレース前に教えてくれ、どのような走りをするのだろうかと、私も注目した。
ところが、最後の直線でもまったく伸びることなく5着に敗れてしまった。ちなみにこのレースは勝ち馬のオムをはじめ、のちの重賞勝ち馬が合計4頭も出走しており、さながら“アメリカ版伝説の2歳戦”といったところだろうか。
2014年9月3日、G1デルマーフューチュリティへの出走でパドックに入場するアメリカンファラオ。担当のエドワード・ルナ厩務員は他にもジャスティファイ、アロゲートなども担当した腕利き。 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】
2014年9月3日、G1デルマーフューチュリティで勝利を挙げるアメリカンファラオとヴィクター・エスピノーザ騎手(帽色黄)。これが同馬にとっての初勝利。 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】