28歳、美しさと気品はそのままに――ヒシアマゾンと私の数奇な出会い

カズ石田 (Kaz Ishida)

「牝馬の時代」のさきがけ

「牝馬の時代」を先取りしていた女傑ヒシアマゾン、その美しさと気品は今も色褪せていない(2017年8月9日 ポログリーンステーブルにて) 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】

 1997年の秋の天皇賞、エアグルーヴが前年の覇者バブルガムフェローをはじめとする牡馬の強豪たちを退けて頂点に立ち、年度代表馬に選出されてから20年余り。日本ダービーを牝馬として64年ぶりの勝ち馬となったウオッカと、翌年秋の天皇賞で歴史的な死闘を繰り広げ、ともに時代を築いたライバルのダイワスカーレット、一度はジャパンカップで降着の憂き目に遭いながらもその翌年にしっかりと借りを返したブエナビスタ、2年続けてジャパンカップを制した貴婦人ジェンティルドンナ、昨年の大活躍で日本競馬界の夢達成の期待を一身に背負うアーモンドアイ。そして、海外に目を向けても欧州では牝馬のトレヴとエネイブルが凱旋門賞を連覇し、アメリカではゼニヤッタがブリーダーズカップクラシックを含めてデビューから19連勝と、いつしか競馬は牝馬の時代となった。

 そのような牝馬の時代の中で、私の印象に残っているのがエアグルーヴの少し前、まだ“牡馬の時代”に競走生活を日本で送っていたヒシアマゾンである。そのヒシアマゾンと私の“数奇な運命”を少し書かせて頂きます。

1995年秋、まるでモデルのようないでたちだった

 その前に、なぜ私が競馬に興味を持つようになったかといえば、父が競馬好きで、私が生まれてまもなく京都競馬場の近所に住んでいたころから競馬場に連れて行かれ、1歳になる前に東京へ転居しても毎週末に家のテレビからは競馬中継が流れていた。兄もテレビゲームのダービースタリオンをしており、私も自然と興味を持つようになっていた。母は私が子供だったころは競馬をスポーツでなく、ギャンブルという目で見ており、父の競馬好きに関してはあまりよく思っていなかったものの、そのような家庭で育った私は高校卒業後の1995年春、自然な流れで一人でも競馬場に行き、それがきっかけで競馬、そしてじかに見ることができた馬そのものにも魅了され始めた。

 その年の9月のオールカマー。そこで私は初めてヒシアマゾンを競馬場で見た。家庭では単身赴任先から戻っていた父と、当時同居していた兄も「ヒシアマゾンはここが正念場」と口を揃え、中山競馬場へ続く地下通路を歩いていたときも「今日はヒシアマゾン、どうする?(買うか買わないか)」という周囲の会話ばかりが耳に入ってきた。そうだからだろうか、中山競馬場に到着したころには私も「今日はヒシアマゾン、勝てるのかな?」と思うようになっていた。

 事前に購読していた競馬週刊誌から得た知識によると、このヒシアマゾンはアメリカ生まれの牝馬、メス馬で、数々の強敵を破り前年の有馬記念では三冠馬ナリタブライアンに果敢に挑んで2着と健闘した。そして、この年のはじめにアメリカへ遠征したが、脚部不安によりレースへの出走を断念して帰国。その後、当時GIIだった高松宮記念ではデビュー以来初めて連を外してしまい、ここは女王復権を賭けての出走だった。

「外国、それもアメリカで生まれたのだからメス馬だけど力がとても強いのかな?」とくらいに私は思っていたのだが……迎えたオールカマー出走馬のパドック登場で一際目立っていた馬が目に入った。ヒシアマゾンだった。綺麗な漆黒の馬体、長い脚、気品あふれる顔、まるでモデルのようないでたちだった。

 そしてレースでは、のちにハーツクライを産んだアイリッシュダンスの猛追をしりぞけて勝利。台風の影響により月曜日の開催ながらも競馬場にかけつけた多くのファンから拍手がわき起こった。あのような拍手を日本の競馬場で見たのはあれが最初で最後である。またウィナーズサークルでのヒシアマゾンは、大型画面に映し出されたレースリプレイの映像で見せていた、目を釣り上げて闘志を表に出していたものとは異なって大変優しい瞳になっていた。

 このオールカマーでヒシアマゾンの存在は私の頭に刻み込まれ、すっかりファンになってしまったのだった。

フリーカメラマンに転身、全米各地の競馬を撮り続ける日々

 大学を卒業後、私は競馬とは少し離れた距離で人生を歩み始めたのだが、紆余曲折の日々の中、趣味であったカメラを生かして働いていくことを決断した。もちろん、それほどの技術があるわけでもなく自立するなど夢の夢。しかし、私は無我夢中でフリーカメラマンとして仕事を模索していた。

 そんな中、私に一つの幸運が巡ってきた。とある日本在住のアメリカ人カメラマンがかつて、日本の競馬シーンを米国のエクリプススポーツワイヤ社等へ配信する仕事をしていたのだが、その方がカメラマンを引退。代わりに日本の競馬シーンを撮影してくれるカメラマンとして、私に声を掛けてくれたのだった。

 もちろん私はそのオファーを快諾。JRAから取材許可証も貸与され、日本をはじめ、米国、香港など世界の競馬シーンを回ってビッグレースの撮影に明け暮れる日々となった。その後2016年の秋に米国競馬の秋の祭典、ブリーダーズカップのオフィシャルフォトグラファーとして、新しい競馬シーンで仕事をさせていただけることにもなったのである。

 毎年11月上旬にはその米国のブリーダーズカップへ行き、そのほかにも年に数回渡米して全米各地の競馬へ出かける日々。そんな生活を無我夢中で続けている中でのことだった。

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著者プロフィール

京都府長岡京市出身、愛知県南知多町在住。写真家。カズ(Kaz)は米国での呼び名でこれを活動名にする。学生時代に出会った障がい者乗馬の活動に約10年間参加、そこで実際に馬の手入れなども経験。紆余曲折を経て2013年、カメラマンとしてJRAからプレスパスを貸与される。海外での撮影はアメリカ西海岸地区の競馬場が中心だったが近年は東海岸地区の競馬場、ケンタッキーの牧場にも足を運ぶ。2016年、日本人として初めて米ブリーダーズカップのオフィシャルフォトグラファーとなる。 (profile photo by Bill Mochon)

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