私の生涯最高のサラブレッド 憧れの舞台で出会ったアメリカンファラオ
アメリカンファラオはなんとも不思議な顔だった
サンタアニタ競馬場。今年はここでブリーダーズカップが開催される。 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】
サンタアニタ競馬場は、JRAからプレスパスが発行される少し前の2013年の春、日本のプレスパスに相当するクレデンシャルをある方のアシスタントという形で発行していただいて撮影した場所でもあり、ある意味私にとってカメラマンとしての誕生地ともいえる思い出深い場所でもある。
アメリカンファラオも次の戦いの舞台をこのサンタアニタ競馬場に移し、9月27日のG1フロントランナーステークス(のちにアメリカンファラオステークスに改称)に出走してきた。
2014年9月27日、サンタアニタ競馬場で行われたG1フロントランナーステークスでも勝利を挙げたアメリカンファラオ 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】
アメリカ競馬の秋の祭典ブリーダーズカップの足音が近づく10月16日の午後、私は競馬場のコース隣にある厩舎地区へ足を運んだ。そこではジュベナイルの勝利を目指していたアメリカンファラオが馬房の中でたたずんでいた。
2014年10月16日の午後、サンタアニタ競馬場の厩舎で過ごしていたアメリカンファラオ。 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】
「撮らせていただいていいのですか?」
「今はいくらでも好きなだけ撮っていいよ!」
その返事を受けて私は、将来の三冠馬を時間の許すかぎり撮らせてもらった。ただこの時点では、アメリカンファラオが三冠馬になるのはもちろん、引退後もこの馬を撮り続けるとはまだ想像できなかった。
このときにレース時以外のアメリカンファラオの顔などを初めて見たのだが、顔は本当に普通、特徴がまったくないのだが、あえて言えば大変整っているのが特徴で、子供っぽくも見えるし大人びているようも見える。なんとも不思議な顔だった。それがまたなぜか大変印象に残った。
ちなみに私は熱中症対策で、この滞在ではバンダナ――それも以前、川崎競馬場のプレゼントで手に入れたホクトベガの勝負服をイメージしたデザインのものを装着していた。そのデザインがアメリカンファラオの勝負服と大変似ており、そのおかげで私はボブ・バファート調教師やその厩舎スタッフ、ならびに追い切りでいつも騎乗していたマーチン・ガルシア騎手にもしっかりと覚えられるようになった。彼らにしてみれば私は『アメリカンファラオ・カラー』なのであった。
ところがジュベナイルが近くなったある日の追い切りで、ガルシア騎手がアメリカンファラオの左前脚に違和感を感じて調べた結果、その左前脚に異常があるのが確認され、無念の回避となった。
最高のサラブレッドを目の前にしての試練
そしてほどなく、クールモアグループが運営するケンタッキー州のアッシュフォードスタッド(Ashford Stud)で翌年から種牡馬入りすることが発表された。
アメリカでは三冠レースが終了した後も3歳馬限定のビッグレースが存在する。一つはベルモントステークスから2ヶ月弱後にニュージャージー州のモンマスパーク競馬場で行われるG1ハスケル招待、もう一つはそのハスケル招待から約1ヶ月後、『真夏のダービー』と呼ばれるニューヨーク州サラトガ競馬場でのG1トラヴァーズステークスである。
アメリカンファラオは過酷な三冠レースを勝ち抜いた後にもかかわらず、果敢にその二つのビッグレースに挑んでいった。ただハスケル招待は三冠馬の貫禄を見せたものの、トラヴァーズではキーンアイスの大掛けに屈してまさかの2着になってしまった。
トラヴァーズでの失意の敗戦後、この年はケンタッキー州のキーンランド競馬場で開催されたブリーダーズカップクラシックを最後のレースとして出走することが発表された。
そして私は幸運にも、キーンランド競馬場へ行く機会に恵まれた。
2015年10月27日、サンタアニタ競馬場からキーンランド競馬場に空輸を挟んで到着したアメリカンファラオ。ひいているのは厩舎のアシスタントトレーナー、ジミー・バーンズ氏。 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】
「どうしよう!」
これしか考えられなかった。1周目のゴール前を馬群が駆け抜けたときは、目の前が本当に真っ暗になった。
だがその数秒後、「もう一つここに短いレンズを装着したカメラを持っているじゃないか」と思い出し、エラー表示が出たボディから、そのもう一つのボディに交換し、「これでダメなら諦める」と腹を括った。そして問題なく撮影ができることを確認できたときは、まだアメリカンファラオは3コーナー手前。あとは、ただ彼が先頭で駆け抜けるのを待った。果たして三冠馬は後続をさらに突き放して有終の美を飾り、私も無事に撮影ができたのだった。
2015年10月31日、引退レースのブリーダーズカップクラシックで後続を突き放すアメリカンファラオ。この約1分前には筆者にとってカメラマン人生の中でも五本の指に入るほどの試練に見舞われた。 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】
「この馬に出会えてよかった」
と、体の中から湧き出てくるような感情を、私は感じていた。
私はこのときまで、サラブレッドにそのような感情を抱いたことはなかった。初めてのことだった。
カメラマンとして憧れていた地でデビュー戦と初勝利を撮影でき、引退レースでは試練を乗り越えた達成感も与えてくれた。この時点で既に、アメリカンファラオは私にとって一番思い出に残るサラブレッドになっていた。
そして、カメラマンとしてまた少し自信を持つことができるようになったきっかけも与えてくれた。