連載:すべてはアジアカップから始まった…

名波が、内田が振り返るアジア制覇の記憶 森保ジャパンは盟主の座を取り戻せるか

飯尾篤史

優勝したいずれの大会でも、厳しい戦いを強いられた

日本は最多4度のアジアカップ優勝を誇る。森保ジャパンは2大会ぶりの王座奪還に挑む(写真は2011年大会) 【写真:アフロ】

 1993年のドーハで悲願のワールドカップ(W杯)出場まであと一歩と迫り、1998年にW杯初出場。地元開催だった2002年W杯でグループステージ突破と、右肩上がりの成長を描いた1990年〜2000年代の日本サッカーの歴史において、その原点といえるのが、1992年のアジアカップ初優勝である。

 翌年にJリーグの開幕と、米国W杯予選を控えていた1992年、ハンス・オフト監督に率いられた日本代表は、広島で開催されたこの大会でカップを掲げ、アジアの盟主としての道を歩んでいくことになる。

 続く1996年UAE(アラブ首長国連邦)大会はベスト8でクウェートに屈したものの、フィリップ・トルシエ監督、ジーコ監督のもとで臨んだ2000年レバノン大会、2004年中国大会で連覇を達成。2007年東南アジア大会は4位に終わったが、アルベルト・ザッケローニ監督に率いられた2011年カタール大会で王者に返り咲く。

 2015年オーストラリア大会はベスト8で散ったが、通算4度の優勝は、イラン、サウジアラビアの3度を抑えて歴代最多の数字である。

 もっとも、頂点に駆け上がったいずれの大会でも、厳しい戦いを強いられた。

 1992年大会を回想するのは、当時キャプテンとしてオフトジャパンをまとめた柱谷哲二である。開催国の重圧からか2試合続けてドローに終わり、引き分けすら許されないイランとの第3戦も、スコアレスのまま終盤へと突入する。

 この絶体絶命のピンチを救ったのが、エースの「カズ」こと三浦知良だった。85分に生まれた起死回生の決勝ゴールでイランを下した日本代表は、初優勝に向かって突き進み、柱谷もピッチ上の監督としてチームをけん引していく。
 日韓W杯まで2年弱。4年前に失ったアジア王座の奪還と、W杯に向けたチーム作りの正しさを証明すべくレバノンに乗り込んだトルシエジャパンは、初戦で優勝候補のサウジアラビアを4−1で粉砕し、快進撃を続ける。指揮官が植え付けたオートマチズムが開花し、ピッチの上を人とボールが駆け巡る。その完成度の高さに各国から「アジアのバルサ」との称賛の声があがった。

 だが、それでも準決勝では中国にリードを許し、サウジアラビアとの再戦となった決勝ではシュートの雨あられを浴びた……。この2000年大会を振り返るのは、大会MVPに輝いた名波浩。名波自身、セリエAのベネチアで手にした経験を代表チームに還元したい、という強い意欲で臨んだ大会だった。

2004年は限界を超え、2011年はサブ組が救った

優勝したいずれの大会も苦戦の連続。2004年大会は絶体絶命のピンチを切り抜け、頂点へ駆け上がった 【写真:ロイター/アフロ】

 アジアに衝撃をもたらしたトルシエジャパンの優勝から4年。中国の「三大竈(かまど)」と呼ばれる重慶で日本代表は、連日の酷暑と反日的な圧力に苦しめられていた。ヨルダンとの準々決勝では1−1のままPK戦に突入し、中村俊輔と三都主アレサンドロが続けて失敗。このピンチに、キャプテンの宮本恒靖がレフェリーにエンド変更を要求。これが認められると、川口能活がビッグセーブを連発し、なんとか勝利を手繰り寄せる。

 だが、ぎりぎりの戦いに、選手たちの肉体と精神は限界が近づいていた。そんなチームを救ったのが、第3回の語り部である玉田圭司だ。バーレーンとの準決勝で大会初ゴールを含む2ゴールを決めると、決勝でも開催国の中国にダメ押しゴールを決めた。この活躍によってジーコ監督の信頼をつかんだ玉田は2年後、ドイツW杯のメンバーに選出されることになる。
 4度目のアジア制覇を果たした2011年大会を振り返るのは、内田篤人である。ベスト16に進出した南アフリカW杯から半年後。W杯メンバーを中心にしてアジアカップに臨んだザックジャパンは、初戦でヨルダン相手にドローゲームを演じてしまう。2戦目のシリア戦では不可解なジャッジでGK川島永嗣が退場となったが、本田圭佑がPKを決めて辛うじて勝ち越しに成功した。

 ノックアウトステージに入っても苦戦が続くチームの救世主となったのは、出場機会に恵まれていない選手たちだった。伊野波雅彦が、細貝萌が、李忠成が大事な場面でゴールをもぎ取り、日本代表はアジアの頂点に駆け上がる。サブ組の活躍を、ザックジャパンの未来を、内田はどう感じていたのか。
 日本が初めてアジアを制した1992年の日本大会から27年――。当時のオフトジャパンで守備的MFとして泥臭いタスクを担い、カズやラモス瑠偉らを支えていた森保一が、指揮官としてアジアカップに帰ってくる。

 ロシアW杯終了後に発足した森保ジャパンには、長谷部誠や本田、香川真司といった、これまで代表チームの顔だった選手はいない。南野拓実、中島翔哉(※)、堂安律ら2列目の若武者を筆頭に、生まれ変わった日本代表がアジアの戦いに挑む。

 初の国際大会を迎え、ここまで親善試合で4勝1分の好成績を残している森保監督の真価も問われることになる。ベスト8で敗れた前回大会の屈辱を晴らし、森保ジャパンは果たしてアジア王者に返り咲けるのか。その可能性を探る。

※負傷により代表チームを離脱

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配信スケジュール(スポーツナビ公式アプリ)

第1回 合言葉は「俺たちが歴史を変える」 柱谷哲二が語るアジア制覇の記憶 1992年
配信中

第2回 若い日本は“頭脳”を必要としていた 名波浩が語るアジア制覇の記憶 2000年
配信中

第3回 あの言葉は今も…人生を変えたゴール 玉田圭司が語るアジア制覇の記憶 2004年
配信中

第4回 優勝を目指す集団に“美談”はいらない 内田篤人が語るアジア制覇の記憶 2011年
配信中

第5回 森保ジャパンよ、苦戦せよ もがき苦しみながら勝ち上がれ
配信中
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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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