クラウン逃げて配当2(ディ)バイダ 「競馬巴投げ!第172回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

小林慎一郎助手の宝塚表彰台が嬉しかった

 宝塚記念、和田竜二の悲願“オペラオー以外でのG1”が果たせたのも嬉しかったが、音無厩舎所属・小林慎一郎が担当調教助手として表彰台に上がったのも嬉しかった。[番外写真1・表彰台から降りてきた小林慎一郎]

[番外写真1]宝塚記念の表彰後、笑顔の小林慎一郎調教助手 【写真:乗峯栄一】

 まったく個人的なことだが、慎一郎はぼくがデビュー前から知っている唯一の元騎手だ。37歳で競馬マスコミに中途採用されたぼくの“先導役”をしてくれたのが浜田厩舎調教助手・小林常浩で、そのコバツネの長男がコバシンである。たぶん小4だったと思う。小柄で、バク転なんかやる運動神経もあり、当時から「騎手になりたい」とはっきり言っていた。[番外写真2・少年コバシン]

「ぼくな、払戻所という所もいっぺん見てみたい」

[番外写真2]少年時代の小林慎一郎助手 【写真:乗峯栄一】

  今でも忘れられないのは96年の桜花賞だ。

 コバシンは当時中2、既に翌年の競馬学校受験を決めていた。もし競馬学校に入れば競馬を一般席から見ることは多分一生ない。といって、調教助手の父親がスタンドに連れていくことも出来ない。

「うちの子、一度競馬場スタンドに連れていってくれないか」と頼まれた。簡単なことだ。簡単だがしかし、微妙な神経戦も起きた。

 コバシンは田原成貴の大ファンだ(小林家にも田原成貴はときどき訪れていた)。

「田原さんの騎乗姿を見てみたい」というのがコバシンが競馬場スタンドに来る最大の眼目である。「乗峯おじちゃんの馬券買う姿を見てみたい」ではない。ここに最大の齟齬があった。

 桜花賞日の混雑した阪神で5Rあたりから一緒に行動する。500万レースでも当然ながらぼくはマークカードのあちこちを塗りたくる。中2のコバシンは頬杖ついてそれを見て「けっこう買うんやね」と言う。

 え?「わあ、おじちゃんはなあ、歩く“競馬エンゲル係数破壊機”って言われてるんや!」などと意味不明の喚きを発しながら窓口に走る。

 パドックに一緒にいると、目の前の馬を見て「飛節の湾曲角度が深すぎる」とか「頭絡からハミへのバインディングが甘い」とか、「きみはナニ中学生や!」とツッコみたくなる呟きを小声で言う。コバシンは厩舎にもよく行っていたし、数年間トレセン乗馬スクールにも通っていた。

 でも10Rあたりでは子供らしい表情も出す。

 こっちの顔を見上げて「ぼくな、払戻所という所もいっぺん見てみたい」と言う。

 問題はここだ。確かに5Rから10Rまで一度も払戻所には行ってない。しかし「払戻所という施設を見たい」という純粋見学意図に取れなくもない。でも今どきの中学生がそんなに純真か?「おっさん、たまには払戻所にも行ったらどうや!」とケンカ売ってるのかもしれない。疑心暗鬼がむくむく沸き上がる。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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