クラウン逃げて配当2(ディ)バイダ 「競馬巴投げ!第172回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

「やったやった、田原や、田原や」

[写真1]カデナ 【写真:乗峯栄一】

 しかし本番桜花賞で、そういうのはいっぺんに吹っ飛ぶ。

 直線入口カネトシシェーバー(菅谷厩舎)が先頭に立ち、あわやというところ、10番人気・田原騎乗ファイトガリバー(中尾謙厩舎)が強烈に差しきる。

 ぼくももちろん田原ファンだったし、カネトシ担当矢作助手(現調教師)が紅梅賞のあと「ファイトガリバーっていう馬はお父さんのダイナガリバーによく似てるなあ」と呟いたのを聞いてから、とにかくファイトを追い続けていた。中2のコバシンとふたり「やったやった、田原や、田原や」と抱き合う。
(4年後、慎一郎はこのファイトガリバーの中尾謙厩舎所属でデビューし、中尾厩舎解散後はカネトシ矢作芳人厩舎所属になり、2010年グロリアスノア根岸Sで重賞初制覇を果たし、ついでにドバイまで騎乗に行く。やっぱり因縁あるレースだった。[番外写真3・騎手時代のコバシンとグロリアスノア])

 単勝2730円。馬連(当時は馬連しかない)1万4230円。もちろん全的中、総額20数万もらうために“払戻所”に向かう。「見ろ、慎一郎、これが払戻所という所だ。パシャパシャパシャパシャ万札数えとるやろ。トロいねん、この払戻機が。はよせえや!」と言いながら手を差し出すが、背中が反りすぎて届かない。「慎一郎、背中押してくれ、万札に手が届かん」

 でも背中は押されない。うん?と思って見ると、慎一郎は出てきた万札の束を見詰め「田原さんのおかげやね」としみじみ言う。

 待てえ、慎一郎。「そりゃ確かに田原さんはよくやった、でも数ある出走馬の中でファイトを選んだのはおじちゃんや。おじちゃんのおかげというんや、こういう時は」と大声で説諭しようとするが慎一郎は既に確定板「田原成貴」の名を見上げてうっとりしていた。

“半分菩薩”の乗峯は言う

[写真2]スズカデヴィアス 【写真:乗峯栄一】

 このとき以来、ぼくはときどき“おかげ”を考える。

「当たれば自分の力、負ければ騎手のせい」は競馬人間のスタンダードであり「××のヘタクソ!」「○○カネ返せ!」とレース後、騎手の名前で叫ぶのもごく普通とされる。

 しかし「当たれば騎手のおかげ、負ければ自分の未熟さ」と考えるような、そんな“歩く観音菩薩”のような謙虚人間も、探せばどこかにいるかもしれない。

 観音菩薩ならレース後、柵から身を乗り出して「俺のヘタクソ!」「わたしカネ返せ!」と訳の分からない叫びを発する。でもこんな風に謙虚な人間は、そのうち競馬やらなくなるんじゃないかという危惧もある。競馬場が観音菩薩だらけになったら馬券売れなくて、これはJRAも困る。

 騎手としての初重賞・根岸Sの大穴も取った。これは慎一郎とおじちゃんの両方のおかげだと“半分菩薩”の乗峯は言う。

 騎手引退後は音無厩舎の調教助手として働く。結婚し、子供ももう三人出来た。立派な家も建てている。そして、昨年、お父さんの小林常浩も飲み過ぎが元で、58歳の若さで死んでしまった。歳月は流れる。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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