伊藤鐘史氏がラグビーで学んだこと 「激しく戦って試合後は相手を称える」

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30歳を過ぎてから念願の日本代表デビュー

ラグビー日本代表として活躍し、現在は京都産業大学でコーチを務めている伊藤鐘史さん 【写真提供:WOWOW】

 今春、現役を引退した元ラグビー日本代表の伊藤鐘史さんはロックというポジションを代表するひとりだ。高校でラグビーに出会い、厳しいトレーニング、激しいプレーを重ね、日本代表のジャージを着て、世界の檜舞台でまた体を張った。ラグビーを味わい尽くした男が語る楕円球の魅力とは――。

――伊藤さんにとって、ラグビー日本代表とはどういう存在でしたか。

 僕は30歳を越えてから初めて代表に呼ばれてテストマッチ(国際試合)を経験したんですが、「日本代表になってワールドカップに出たい」というのは、社会人でラグビーを始めたときからずっと夢に描いていたことなので、素直にうれしかったですね。
 桜のジャージ、日本代表という国を背負って戦うことは重責だけど、それこそ一番やりたかったことでしたから。

――初めて日本代表に参加したときの感想は。

 いや、考える間もなくハードなトレーニングが始まってしまいました(笑)。僕が初めて招集されたのは2012年、エディー・ジョーンズさんが日本代表のヘッドコーチに就任して最初の静岡県つま恋の合宿だったんですが、最初の日からもう、早朝から夕方まで4部練習が組まれていて、連日疲れ果てて。
 メンバーに選ばれてうれしいとか、そんな余韻に浸る間もなく最初の試合を迎えましたね。

――代表デビューはアウェーのカザフスタン戦でした。

 疲れ果てたまま飛行機で移動して、初めての国へ行って。それまでトップリーグもたくさん経験して、年齢も30を過ぎていたし、落ち着いて臨もうと思っていたけど、やっぱり日本代表でテストマッチを戦うというのは初めての体験でしたし、地に足がついてないような感覚でしたね。

「息継ぎをする間もなく試合が進んでいく」

2015年ワールドカップに出場した伊藤氏(左から2人目)。日本の躍進に大きく貢献した 【写真:ロイター/アフロ】

――そして、4年間ハードなトレーニングを重ねて、ワールドカップへ臨みました。

 ワールドカップはまた違いましたね。僕にとっては最初で最後のワールドカップになって、出場時間も短かったけれど、それまでのテストマッチとはまた違っていた。ワールドカップは本当の本番なんだなと肌で体験しました。どこのチームも120%の力でぶつかり合う。息継ぎをする間もなく試合が進んでいくようなイメージです。

――世界を驚かせた初戦の南アフリカ戦(34対32で勝利)は。

 僕はノンメンバーだったので、スタンドで見ていたのですが、自分が試合に出ていなくても素直に喜べました。チームがまとまっていましたからね。それまで4年間、いろんな過程を経て、一生懸命トレーニングをして、世界のどこにも負けない練習量を積んできた自信があったし、その時間を一緒に過ごした仲間とは強い絆で結ばれていました。あの瞬間は本当に、人生で一番感動した瞬間でしたね。

――南ア戦までの準備の段階では、練習で「仮想・南アフリカ」の役をやったりしたわけですよね。

 やりましたね(笑)。それまでのテストマッチでもやっていたことですが、僕は主にラインアウトのリーダーをやっていたので、相手チームの映像を見て分析して、「こういう動きをしてくる」というのを練習で実演していました。ワールドカップの4試合でも、すべてやりました。

――ワールドカップでは試合以外の時間も特別なものでしたか。

 街を歩いていても、全体がワールドカップ一色になっている。試合で頑張ると、どこの国のチームだろうが現地の人たちが称えてくれる。握手を求められたり、一緒に写真を撮ってくださいと頼まれたり……暖かみを感じましたね。やはり、イングランドというラグビー先進国でのワールドカップだけに、ラグビーの文化が根付いているなと感じましたね。

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