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2人の“天才”が経験した五輪の苦楽
【対談】久保英恵×安藤美姫 前編
スマイルジャパンのエース・久保英恵(左)と、元フィギュアスケーターの安藤美姫さんが、五輪をテーマに語り合った
スマイルジャパンのエース・久保英恵(左)と、元フィギュアスケーターの安藤美姫さんが、五輪をテーマに語り合った【坂本清】

 アスリートには若くして頭角を現す者がいる。アイスホッケー日本女子代表“スマイルジャパン”のエースFW久保英恵(SEIBUプリンセスラビッツ)は、13歳で代表に選ばれた。1度は現役を引退したものの、その後に復帰し、2014年のソチ五輪に出場。35歳で迎える平昌五輪は、メダル獲得を目標に掲げる。


 一方、フィギュアスケートの世界選手権で2度の優勝経験を誇る安藤美姫さんも、02−03シーズンのジュニアグランプリファイナルで女子史上初の4回転サルコウを成功させるなど、早くから注目を浴びた。五輪も06年のトリノ大会、10年のバンクーバー大会に出場。13年の全日本選手権を最後に競技からは退いたが、その後はプロスケーターに転向し、さまざまな活動を行っている。


 10代にして日本を代表する選手にまで上り詰めた2人が、「五輪」をテーマに自身の経験や思いを語り合った。

フィギュア界のように盛り上げていければ

アイスホッケーをフィギュアのように盛り上げたいと語った久保。ソチに続いて五輪出場を果たしただけに、人気に火をつけられるか
アイスホッケーをフィギュアのように盛り上げたいと語った久保。ソチに続いて五輪出場を果たしただけに、人気に火をつけられるか【坂本清】

――お二人は“天才”と呼ばれて若いうちに日本代表まで上り詰めました。当時のことで印象に残っていることはありますか?


久保 中学生は私1人で、パスポートも取っていない状態で急に(代表に)呼ばれてカナダに行きました。パッと入ったのはいいけれど、大人と子どもがアイスホッケーをやっているみたいな感じでしたね。


安藤 私が中学生のとき、フィギュアは全然マイナースポーツで、今みたいに多くのメディアの方が来るなんてことは全くなくて……。地元の新聞に「全日本ノービス(選手権)で優勝した安藤美姫さん」という感じで載るくらいでした。そういう時代で育ったので、注目されていると感じたことは全くなかったです。4回転ジャンプを公式戦で成功した次の日に、通信社の方が「ロンドンから急に飛ばされた」と言ってあいさつに来ました(苦笑)。とはいえ、その試合に日本から記者の方が来ていたわけではなかったですし、それくらい注目されていませんでした。

安藤さんが高校生のときは、フィギュアも今ほどメジャーな競技ではなかった
安藤さんが高校生のときは、フィギュアも今ほどメジャーな競技ではなかった【写真:アフロスポーツ】

久保 出身は愛知県でしたよね。フィギュアはけっこう盛んじゃないですか?


安藤 そうなんですけど、地元で少し取り上げられる程度でした。確か私が16歳とか17歳くらいのころはテレビもここまで放送していなかったと思います。全日本選手権も会場は半分くらいしか埋まっていなかったですし、入場料もタダでした。


久保 フィギュアがそうなんですか? 私たちは基本的にタダなんですけれど……(笑)


安藤 そうなんですか。でも前回のソチ五輪に出てからは注目度も上がったんじゃないですか?


久保 そうですね。ソチ五輪に出てからアイスホッケーというものを知っていただくことが多くなったかなと思います。ただ、フィギュアに比べれば全然まだまだですし、すごく憧れます。今回五輪に2大会連続で出場することになったので、それが続いていけばもっとメディアに取り上げていただけるでしょうし、フィギュア界のように盛り上げていけたらと思いますね。

自分を守ることに必死だった

一番大変だったのはトリノ五輪のころだったと、安藤さんは振り返る。周りの環境が変わり、家にこもりがちになったという
一番大変だったのはトリノ五輪のころだったと、安藤さんは振り返る。周りの環境が変わり、家にこもりがちになったという【坂本清】

――世界の舞台で戦うことは、プレッシャーを伴うと思います。それにはどう対処していたのですか?


久保 私はそんなにプレッシャーを感じる方ではなく、常にポジティブなので何も考えずにアイスホッケーをやっていました。大会など注目されていると分かっている中でやることが好きですね。そこで点数を決めたりしたら気持ち良いですし、プレッシャーを力に変えられる感じです。


安藤 私は周りの環境と、自分が抱いているフィギュアへの思いというものに差があり過ぎて、当時は戸惑うことが多かったです。習い事でフィギュアを始めて、チャンピオンになりたいと思ったことなんて実はなかったんです。好きなフィギュアを楽しくやっていた。本当にその気持ちだけでした。一番大変だったときはトリノ五輪のころですね。周りの環境が変わって家にこもり、外に出られなかった。「フィギュアは好きだけど、その好きなフィギュアで自分の生活ができなくなるなら辞めたい」と思ったことはあります。


――そういう状況にどう対処したのですか?


安藤 人からとにかく逃げていました。本当にその時期は外出も全然しないで、学校からすぐ車に乗って移動して、家に帰るという生活でしたね。対処するというより、自分を守ることに必死だったというか。トリノ五輪が終わってからは、自分とフィギュアの向き合い方、メディアとの向き合い方、一般の方との向き合い方を良い方向に動かせるようにしていました。トリノ五輪は結果(15位)も良くなかったですし、失敗もしたのでけっこういろいろと言われて……。「もう(競技を)辞めた方がいいな」と思ったのですが、そのときに会場でファンの女性から「4回転にトライしてくれて、それを現地で見られて本当に幸せだった。ありがとう」と言われたんですね。その一言があったからスケートを続けてこられたのかなと思います。もう一回この五輪という舞台で、トリノで成し遂げられなかった自分の演技をするということを目標に頑張ろうと。


久保 フィギュアの選手は団体競技と違って、ひとりでやらなくてはいけないじゃないですか。だからすごく緊張するのではないかなといつも思います。


安藤 コーチやトレーナーがいてくれることを考えられるようになってからは、「実はひとりじゃないんだ」ということを感じられましたね。あと私は9歳で父を亡くしているのですが、どこにいても父がずっと空から見てくれているという思いでやってきたので、そういうのも大きかったです。


久保 私たちは団体競技なので、良く言えば自分が失敗しても周りが支えてくれたり、ミスをカバーしてくれたりする。そういう安心感はあります。あとソチ五輪の予選では観客、応援してくださる方の力は感じました。平昌五輪の予選でも多くの観客が入って、すごく良い環境で大会に臨めたんです。やはりたくさんの人の前でアイスホッケーができるこということはすごいことだな、力になるなということをあらためて感じましたね。

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