札幌といわきが参戦する“国際大会”とは? パシフィック・リムの仕掛け人が語る物語

宇都宮徹壱

始まりは08年のパンパシフィックチャンピオンシップ

パシフィック・リムカップの会場となる、ハワイのアロハ・スタジアム 【(C)Blue United Corporation】

 今季、前浦和レッズ監督のミハイロ・ペトロヴィッチを新指揮官に迎えた、北海道コンサドーレ札幌。その札幌を昨年の天皇杯で破ってセンセーションを起こした、いわきFC(今季から東北リーグ2部)。この2つのクラブがMLS(メジャーリーグサッカー)のコロンバス・クルーSCとバンクーバー・ホワイトキャップスFCと対戦する。そんな大会が今月、米国のハワイで開催されるのをご存じだろうか?

 大会名は『パシフィック・リムカップ』。ホノルルにあるアロハ・スタジアムで、2月8日に準決勝2試合(バンクーバー対いわき、コロンバス対札幌)、10日に3位決定戦と決勝が行われる。なぜ、日米のクラブが対戦するのか。なぜ、会場がハワイなのか。なぜ、プロクラブではない、いわきが参加するのか。いくつもの「なぜ」が浮かぶ、何とも不思議なこの大会。今回、その仕掛け人に話を聞くことができた。

「今は日本、ハワイ、ニューヨークの3つの時差と文化の中で仕事をしています。ニューヨークからこっち(東京)に来てスポンサー回りをして、週末からハワイに入る予定です」――そう語るのは、ブルー・ユナイテッド・コーポレーション代表の中村武彦。MLSでの勤務経験があり、ニューヨークを拠点に手広くサッカービジネスを展開している、日本サッカー界きっての「知米派」である。今回、パシフィック・リム開幕3週間前のタイミングで、中村に詳細を語ってもらった。

パシフィック・リムカップの仕掛け人、ブルー・ユナイテッド・コーポレーションの中村武彦代表 【宇都宮徹壱】

「たぶん、仕事でこれだけのワクワク感と、プレッシャーを感じるのは初めてでしょうね。2008年の時は、MLSのスタッフとして関わりましたが、今回はすべて自分の会社でやっていますから。スポンサー料も、基本的には僕個人への信頼で集めたものです。自分の10年間の仕事が、今まさに問われていると感じています」

 中村が言う「08年の時」というのは、その年の2月に今回と同じくアロハ・スタジアムで開催された『パンパシフィックチャンピオンシップ(以下、パンパシ)』のことである。この大会には、日本からは前年のナビスコカップで優勝したガンバ大阪が出場。これにMLSのLA(ロサンゼルス)ギャラクシーとヒューストン・ダイナモ、そしてAリーグのシドニーFCが加わり、決勝でヒューストンを6−1で下したG大阪が優勝している。

10年前に誕生し、忘れられた大会が復活するまで

日本からはG大阪が参戦した08年のパンパシ。ベッカムの出場もあり、まずまずの成功を収めた 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 この大会を主催したのはMLSだが、企画・立案したのが当時MLSで働き始めて3年目の中村であった。発想の原点となったのは、米国のスポーツビジネスを学んだ、マサチューセッツ州立大学の大学院での修論だったという。

 日本サッカーの強化を考えた時に、アジアの中だけで競い合うのみでいいのだろうか? だからといって、欧州は地理的に遠い。ならば、環太平洋のライバルたちと切磋琢磨(せっさたくま)したほうが、お互いにとって十分にメリットがあるのではないか。そして、環太平洋の国々が集まりやすいハワイで開催すれば、話題にもなるし、ハワイにとっても新たな観光資源となるのではないか。

 こうした仮説からスタートしたパンパシは、当時LAギャラクシーに元イングランド代表のデイビッド・ベッカムが所属していたこともあり、まずまずの成功を収めた。しかし、ハワイで産声を挙げたこの大会は、次の年に中村が予想もしなかった流転を見せる。

「大会がAEG(アンシュッツ・エンターテイメント・グループ)に買われてしまったんです。AEGというのは、LAにあるスポーツとエンターテインメントのグループ企業です。僕の手を離れたパンパシは、09年に第2回大会を開催したのですが、会場はハワイではなくLA。はっきり言って失敗だったと思っています。2月のLAは寒いし、アジアから飛ぶには遠い。サッカー以外の娯楽もたくさんありますから」

 余談ながら、この第2回大会には日本から大分トリニータが出場している。結局、パンパシは08年と09年のわずか2回でいったん終了。それから3年後、会場をハワイに戻して米国のスポーツ専門チャンネルESPNが主催する『ハワイアン・アイランズ・インビテーショナル・サッカートーナメント2012』が開催された(日本からは横浜FCが出場)。だが、これも単発で終了。カップに残る冷えたコーヒーを飲み干して、中村はこう続ける。

「それから6年間、自分が立ち上げた大会をなんとか復活させたくて、主催者を探し続けましたが見つかりませんでした。ですので、自分が立ち上げた会社で主催して、自分でリスクを取る決断をしました。コンセプトはパンパシと同じ。でも10年前は、企画立案こそしましたけれど、僕はMLSのいちスタッフでした。今回は僕がオーナーです。周りからは、かなり心配されましたけどね(苦笑)」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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