【物語りVol.130】HO 酒木 凜平
【東芝ブレイブルーパス東京】
「オトンの影響で、当時住んでいた岡山でラグビーを始めました。小学校1年から茨城県のつくば市へ引っ越したので、ツクバリアンズというチームに入りました。子どものころはラグビーが好きというよりも、遊びの延長のような感覚でしたね」
小学校入学当時は、身体が小さかった。
「アトピー性皮膚炎で、食べ物のアレルギーがめっちゃあって、学校の給食も食べられなかったんです。それだけでなく、喘息もわずらっていて、身体がガリガリだったんですね。それが2、3年ぐらいから具合が良くなって。食べられるものが増えて、食べられるのが嬉しくて、たくさん食べて身体が大きくなっていきました」
小学5年時に、わんぱく相撲全国大会に出場した。6年時には柔道の全国大会に団体戦で出場している。
「相撲と柔道のほかに水泳もやっていて、習い事もやっていたんですけど、小学校卒業のタイミングですべてやめました。それはもう、自分から親に言いました。ラグビー1本に絞りたかったんです」
凜平少年がラグビーに注ぐ熱量は、その行動から読み取れる。中学3年への進級を前に、奈良県御所市の御所中学校へ転校するのだ。
「教員をしている父が御所実業高校の竹田寛行先生と知り合いで、先生から『来るか』と誘っていただいたんです。それで、中学2年の3学期から、竹田先生の自宅で下宿することになりました。家族と離れて暮らすことで、時々寂しいなと思いましたけど、ラグビーが楽しかったので辛くはなかったですね」
御所実業高校へ進学すると、2年時に花園出場を果たす。チームは準決勝まで勝ち上がり、東福岡高校と激突する。
「24対25で負けてたんですけど、終了間際にチャンスが来て、押せ押せムードでトライできそうな雰囲気のなかで、僕がノックオンをして試合が終わってしまったんです。悔しさよりもやっちゃった感というか、喪失感が強くて、涙さえ出ないような……。先輩たちがすごく優しくて、来年頑張れと言ってくれたんですけど、ホントに申し訳なくて」
奈良県の高校ラグビーでは、天理と御所実が激しく競り合っている。花園の県予選決勝では20年以上にわたって両校が激突しており、この数年前から交互に出場していた。
「僕の3年時は、順番どおりなら天理が出ることになって、実際に強かった。公式戦とか練習試合に全勝で、花園の県予選決勝まできたんですね」
後半途中まで、19点差をつけられた。ところが、「もうやるしかない」と開き直った御所実は、何と21対19の大逆転勝利を収めるのである。
「僕は準決勝で右ひざをケガしちゃって。普通なら1、2か月かかるぐらいで、めちゃめちゃ痛かったんですけど、ゲームキャプテンだったし、出るしかないって。試合では全然大丈夫でした」
しかし、花園では初戦で敗れてしまう。
「あとから振り返ると、天理戦で完全燃焼しちゃった感じはありました。勝ってから花園まで、ふわふわとしたまま過ごしちゃったかな、というのはあります。でも、充実した3年間でした。竹田先生には人間的にもしっかり鍛えていただきました。色々なことを教えていただきました」
【東芝ブレイブルーパス東京】
「いくつか選択肢があったなかで、最初に声をかけてくれたんです。御所実の先輩も多く、楽しそうなラグビーをしていたので決めました。そのとおり、ホントに楽しかったですね」
1年時から試合に関わり、2年時の途中からは2番を背負った。4年時にはキャプテンに就く。卒業後の加入を打診するチームもあったが、酒木はコベルコ神戸スティーラーズのトライアウトを受ける。
「自分がホントに行きたいチームからは誘いがなくて、神戸の関係者と話したら『練習に来ていいよ』と言ってもらえて。神戸のラグビースタイルが自分に合っていると感じていたし、強いチームでラグビーをしたかったので、練習に参加させてもらいました」
トライアウトから契約を勝ち取り、1年目のシーズン途中に初キャップを獲得した。そのままシーズン終了まで試合に絡んだ。
ところが、2年目の23-24シーズンはメンバーリストに酒木の名前がない。1試合も出場することができなかった。
「試合に出られないことが人生で初めてだったので、どうやって過ごしたらいいのかが分からなかったですね。『何で出られへんねん』と思ってしまったし、『でも、やることをやるしかない』とも思っていました」
酒木が2シーズン目を終えると、編成上の理由からチームにとどまることが難しくなった。移籍先を探す必要が生じたなかで、東芝ブレイブルーパス東京から打診が届く。
【東芝ブレイブルーパス東京】
東芝ブレイブルーパス東京のフィジカルの強さは、厳しい練習が土台になっているのだろうと想像していた。チームに合流してみると、確かに練習はハードである。それこそは、酒木が求めていた環境だった。神戸Sで試合に絡めなかった理由を、見つけることができた。
「神戸でも自分なりに頑張っていたつもりでしたが、頑張りが足りなかったんだなとを思います。同級生の(原田)衛も(木村)星南も、めっちゃ練習する。誰よりも実績を残しているマイケルさんも、チームで一番と言っていいぐらいに練習している。もちろん、他の選手たちも。日々刺激を受けています」
一人ひとりが自分に厳しく向き合いながら、チームメイトとの絆を深めていく。東芝ブレイブルーパス東京が伝統とするチームカルチャーも、酒井の心を温かくする。
「みんな良く話すし、お互いに高め合う雰囲気があります。それが当たり前の環境なので、すごくありがたいですね」
東芝ブレイブルーパス東京への移籍とともに、プロ選手となった。「毎日が充実しています」と笑みをこぼす。
「前のチームではシーズン中も仕事をしていて、残業や出張もありました。そういう時間をすべてラグビーに充てられる。ラグビー選手になるのは保育園児の頃からの夢で、プロになれるのならなろう、と。だからこそ、やらなきゃいけない。やるしかない。やらないともったいないです」
酒木が両親からもらった「凜平」という名前には、「凜々しく」と「平等に、平和に」といった思いが込められている。周囲の人たちの心を和らげる笑顔の持ち主は、日々の練習から希望の芽を見出し、自らを磨き上げていく。
【東芝ブレイブルーパス東京】
まだまだ続く東芝ブレイブルーパス東京の快進撃にご期待ください!
次のホストゲームは、第8節:2/15(土)14:05より、秩父宮ラグビー場にて東京サンゴリアスと対戦します。
13:00キックオフとなりますので、ぜひ会場で皆様のご声援をよろしくお願いします!
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