【物語りVol.129】LO 亀井 茜風
【東芝ブレイブルーパス東京】
「父親が明治大学の出身で、12月の第一日曜日の早明戦を必ずテレビで観るんです。僕ら家族は長崎県の五島列島に住んでいたのですが、『本島へ行ったら、お前は絶対にラグビーをやるんだからな』と言われて、すっごい嫌だったのをいまでも覚えています」
小学4年時に父親の転勤が決まり、本島へ移り住む。父親に言われていたとおりに、ラグビーを始めることになった。
「ちょうど小学4年ぐらいから、身体が大きくなり始めたんです。5年生になると何かちょっとつかめたというか、自分が伸びている感覚があって、少しずつラグビーが楽しくなっていった記憶があります」
中学入学後もラグビーを続けたが、高校ではテニスをやろうと考えた。「高校でもラグビーをやったほうがいい」との周囲の勧めが、胸の奥まで届かない。思春期特有の気持ちの揺れがありながらも、ラグビー強豪校として知られる長崎北陽台高等学校へ進学する。
練習は朝7時のウエイトトレーニングから始まる。朝5時半に起きて、6時前には自宅を出る生活が始まった。
「土日とオフの日以外は、ずっとその生活です。高校にはお弁当を持っていったので、母親は4時には起きていたはずです。母親が一番大変だったでしょうし、ホントにありがたかったです」
家族の支えを、ラグビーに打ち込むエネルギーに変換した。雨の日も、強い風の日も、日の出が遅くなる真冬も、ルーティーンを崩すことはなかった。
「いま考えたら、良くそんなことができたなあと思うんですけど、部活がとにかく楽しかったんですね。品川英貴監督と浦敏明コーチは、厳しさのなかに愛情がありました。選手としての能力を、すごく伸ばしてもらいました」
北陽台は進学校でもある。勉強もおろそかにできない。
「部活を終えて夜8時半とか9時に帰宅して、お風呂に入ってご飯を食べて、10時くらいから勉強する。通学の電車内で課題をやることもありました。品川監督と浦コーチから、勉強もしっかりやれと言われていましたので」
文武両道を突き進みながら、花園に2度出場した。U-17日本代表や高校日本代表にも選ばれた。大学でもラグビーを続ける道が、目の前に広がっていった。
「明治大学へ進学した2学年上の先輩が、帰省したときに『練習はそれほどきつくないし、すぐに終わるよ』と教えてくれたんです。それで強いなら最高だな、と思って選んだのですが……」
明治の練習がキツくないはずが、ない。
「高校は部員が少なくて、部内競争が激しくなかったんですね。明治では1年からメンバーに入ることができたんですけど、リザーブが多かったので、精神的にキツい時もありました」
試合に出られない選手、メンバーに入れない選手は、自分だけではない。同じ立場の選手は、どのように現実を受け止めているのか。どのように振る舞っているのか。亀井は周囲を見渡した。
大切な気づきがあった。
「先輩や同期を見ていて、試合に出られないから投げやりな態度を取ったりするのは、ものすごく自分勝手でわがままな行為だと教えられました。どれだけチームにコミットできるか、どれだけチームを愛しているかみたいなところが、チームの雰囲気を変えるんだな、と。試合に出られない選手の態度で、その学年の雰囲気が決まるところはあるので」
【東芝ブレイブルーパス東京】
だが、いまでも悔しさが消えない試合がある。24年1月13日の大学選手権決勝だ。最終学年の最後の試合で、メンバー入りを逃したのである。
「試合が終わったあとにFWコーチから、『リーグワンで頑張ってほしいから、そういう決断をさせてもらった』と説明されたんですけど、いまでも納得はしていません。試合に出られなかったのは自分に理由があるので、コーチを恨んだりはしていませんし、その試合にずっととらわれているわけではないのですが、自分を奮い立たせる材料のひとつにはなっています」
ラグビーは大学で辞めるつもりだった。2年時の夏にリーグワンのクラブから勧誘を受けた際には、「続けるつもりは一切ないんです」とはっきり断った。
「でも、2年の秋の対抗戦はほとんどの試合でメンバーに入ったので、上を目ざせるんじゃないかと思うようになっていきました。」
亀井の気持ちに変化が芽生えたその時──東芝ブレイブルーパス東京から声がかかった。
「どのチームのリクルーターさんも、基本的にいいことを言ってくれます。けれど、望月(雄太)さんはいいところだけでなく、『ここを伸ばしたら、もっと良くなるんじゃないかな』という感じだったんです。他のチームとは違うなあ、と思いましたね」
その後もオファーが届き、複数チームのなかから絞り込むことになった。東芝ブレイブルーパス東京の優先順位は高くなったものの、練習と会社の見学を経て亀井の考えは変わる。
「直感でここだな、と思いました。練習の雰囲気が北陽台と似ていて、年齢に関係なく一体感があるなあと感じました。事業所を訪問すると、案内をしてくれる望月さんが会社の方々から『久しぶりだな』とか『元気でやってるか』と声をかけられていました。ラグビーに対して理解のある職場なんだな、というのが伝わってきました」
小学生から楕円球に親しんできたが、日本一の経験はない。
「自分がメンバーに絡んで日本一になりたい、という気持ちはすごく強いです。それを達成しないまま、ラグビー選手としてのキャリアを終えることはできないです」
【東芝ブレイブルーパス東京】
「すごい選手ばかりですけど、チームに加入して練習してきて、まったく通用しないことはないとも感じています。いまの東芝は若い選手がすごく伸びてきているので、自分のその波に乗っていきたいと思っています」
目の前の目標をクリアすることで、国内最高峰のステージにたどり着いた。東芝ブレイブルーパス東京の一員となっても、これまでと変わらないスタンスで日々を過ごしていく。
「日本代表になりたいとか、W杯に出たいとか、考えないわけではないですけれど、目先のことに集中してやってきていまがある。このチームで早く試合に出る、試合に出たら1試合でも多く出続ける、というのが、いまの目標ですね」
少しくらい不器用でもいいから、透き通った気持ちでラグビーと向き合う。喜びも、苦しみも、楽しみも、悲しみも経験しながら、亀井は色彩豊かなキャリアを過ごしていく。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
【東芝ブレイブルーパス東京】
まだまだ続く東芝ブレイブルーパス東京の快進撃にご期待ください!
次のホストゲームは、第8節:2/15(土)14:05より、秩父宮ラグビー場にて東京サンゴリアスと対戦します。
13:00キックオフとなりますので、ぜひ会場で皆様のご声援をよろしくお願いします!
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