人気薄のダノンに頼(だの)んだ。「競馬巴投げ!第158回」1万円馬券勝負
「コーチ屋」は犯罪です
[写真1]アサクサゲンキ 【写真:乗峯栄一】
「次の7レース、“2−5”一点や。調教師から聞いてきたんや。本命の3番は左手の次に右足出すか、左足出すかで悩んでるらしい。順番を気にする精神病にかかっとるそうや」
こんな、どうでもいいような作り話を言って運良く“2−5”が来たときは「配当の半分よこせ」と言う。「コーチされた方」も何だかよく分からないが、この人の言葉に従って儲けたんだから、お礼をしなければいけないのかなあという気になって、儲けの半分を出したりする。でもこれはあまりにムシがよすぎる商売だ。だから犯罪なのだ。
これがもし発音することに非常に困難が伴う、たとえば数字はすべて、かつてのソプラノ歌手マリア・カラスだけが発することが出来た16000ヘルツ以上の超音波でないと発声できないということになればコーチ屋も簡単ではない。「2−5」を発音するために滝に打たれたり、マラソン走ったり、渾身の努力で声帯を鍛えねばならない。被害者の方だって「ああ、この人は“2−5”をちゃんと発音してる」と驚嘆し、まるで街角ミュージシャンのギターケースに千円札入れるような気で、配当の半分ぐらい出す気になるかもしれない。
「コーチ屋」は犯罪だが、街角ミュージシャンは犯罪ではない。ここの違いが大事だ。
騎手時代の飯田祐史調教師の見舞いに行ったときのこと
[写真2]イシマツ 【写真:乗峯栄一】
「脚が背中の方に折れ曲がり、左大腿骨が股関節から外れて尻の方に突き出したんです」と本人はいたって平然としたものだ。微笑みながら話すが、話だけ聞いていても思わず顔をしかめてしまった。
幸い、股関節脱臼の方はうまくハマったらしいが、そのままにしておくと、大腿骨と股関節が固着するとかで、脚を牽引しておかねばならない。左膝下にボルトを貫通させ、そのボルトの両端からワイヤーをベッド後方の滑車まで引っ張り、その下に重量挙げに使うような重りが吊るされていた。顔は笑顔だったが、その姿は痛々しいものがあった。
帰り際、「我々予想を書く人間に足りないのはこの厳しさかもしれない」と少し反省する。
「ああ、ダメだ、今日の予想はカスリもしなかったな、ボキ」
「ああ、今春のGIは全敗だな、ボキボキ」
そんな、競馬場の帰りにあちこちの骨を折られるというような、「お願いです、命だけは何とか」と必死に哀願するというような、そんな命を賭けた予想ならもっと凄みが出てくるかもしれないし、読者からも崇敬を集められるかもしれないと思った。