人気薄のダノンに頼(だの)んだ。「競馬巴投げ!第158回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

「地見屋」の記憶力に驚いた

[写真3]カシアス 【写真:乗峯栄一】

 そんなことを考えながら、京阪電車に乗り込むと、さらにびっくりすることがあった。

 その日は競馬開催日で、淀駅から競馬帰りとおぼしきオジサン二人が四人掛けボックス席の向かいに座る。彼らの手にはパンパンにふくれた紙袋があったが、チラッと見ると、中はすべて馬券である。ゴミ箱やら、地面に落ちていた馬券を洗いざらい集めてきたのだろう。

 電車が動き出すと同時にポケットから指サックを取り出した彼らは、一つかみ馬券の束を取り出し、見事な早業でそれらを検証していく。「こんな馬券買ってアホやなあ」などと無駄口は一切言わない。バババと見て、ときどき「ウ!」と小さく呻いたとみるや、その内の一枚を胸ポケットの中にしまい、残りの馬券は輪ゴムで止めてもう一つの紙袋に投げ込む。その行為を延々繰り返す。

 ぼくはほとんど釘付けになって見ていたが、四十分ほどの乗車時間で少なくとも三枚は彼らのポケットの中に入った。

 こういうのをいわゆる「地見屋」というのだろうか。

 地見屋というのは古典落語にもある古い商売らしい。地面に落ちている物を拾う商売で、いつも下ばかり見て歩いて視力は使うし、足先に当たる感覚も大事だ。なかなかの技術を必要とする。

 しかし何より驚いたのは、京阪電車の地見屋の頭の中には、その日の全レースの当たり番号がインプットされていることだ。彼らは馬券とレース結果表と一々見比べるというような非能率的なことは一切しない。馬券を見るだけで即座に当たり外れを断定する。凄いことだと感心した。

 これでも拾得物横領という犯罪になるのだろうか?

 でももし当たり馬券がゴミ箱に入ったまま集積場送りになれば、その配当金はJRAの雑収入になる(その頃は未払い戻し金は年平均60億あった)。そんなことなら、これだけ馬券めくりに習熟し、全当たり番号記憶という特殊能力を持つオジサンたちの物になる方が正しいようにも思えた。
(しかし、現在ではネット投票がJRA全売り上げの65%に達しているという。馬券そのものが極端に減っている。その激減している馬券も、いずれクレジットカード決済に移行していく。「馬券地見屋」たちはどうやって生き残っていくのだろう)

苦悩の血ヘド跡の付いたわが馬券収支表を見よ

[写真4]ケイアイノーテック 【写真:乗峯栄一】

 犯罪というのは、つまり費やした努力に比して対価が釣り合わないものをいうのではないかと思っている。

「うち? 政策秘書いるよ」と国会議員が言いさえすれば、年間一千万貰えるのは不当だ。

「予想アドバイスしてあげる、つぎ2ー5」と言うのが簡単なのに対して、配当の半分よこせは不当だ。

「ラッキー、当たり馬券拾ったよ」などと言って万馬券の配当にありつくのも不当だ。

 だからこういうのは犯罪として取り締まらねばならない。

 政策秘書は吉野山に三十年籠もらないと資格取れない、コーチ屋は滝に打たれ、荒野で叫んで16000ヘルツの声を出せるようにならないと人にアドバイス出来ない、地見屋は1分百枚の馬券めくる技術と、三場36レースの単・複・ワイド・枠連・馬連・馬単・三連複・三連単300通り以上の番号を暗記する能力がないと当たり馬券を換金できない、と、こういうことにすれば、これらは軽々に犯罪とは言えなくなる。

「そこまで努力するのなら真面目に働く方がよっぽど楽なんじゃないのか」と思わず突っ込みたくなる政策秘書や、コーチ屋や、地見屋なら許せる。

「出走表に鼻くそ飛ばして本命決めてんのに、こいつ、こんな予想でカネなんかもらいやがって、犯罪的や」とか非難する読者がいたら、そういう人間はぜひうちに連行したい。

 苦悩の血ヘド跡の付いたわが馬券収支表や、わが嫁の「競馬やめろ!」という怒号と共に飛び交う鍋釜を見れば、その人並み外れた努力に対して「少しはカネもらってもいいかもしれない」と読者も納得するはずなのである。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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