愛欲と嫉妬のミッキーロケット 「競馬巴投げ!第130回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

織田作之助の傑作短編『競馬』

[写真1]サトノダイヤモンド 【写真:乗峯栄一】

 グリーンチャネルに年一回出ていたころ、「競馬本ブックレビュー」というコーナーを担当していたことがある。競馬に関する本を紹介するコーナーである。

 最初のうちはお気に入りの本を紹介していたが、三年目、四年目ぐらいになると、なかなかこれといった競馬本を思いつかなくなる。馬券必勝本や、有力馬や有力騎手を扱う競馬ドキュメントは年々多数出版されていて、ここから選ぶのは難しくないが、出来るだけ色んなジャンルから紹介本を出したいという思いもあって、競馬を扱う小説、これを探し出すのに苦労した。

 織田作之助の『競馬』という文庫本20ページほどの短編も、時間に追われる中、苦し紛れに見つけたものだが、これはよかった。これまで読んだ競馬小説の中で最高だった。「ブックレビュー」コーナーの終わった今でも、競馬にかかわらず、何か行き詰まったとき読み返している。

真面目一方の寺田とナンバー1ホステスの一代

[写真2]ミッキーロケット 【写真:乗峯栄一】

“オダサク”といえば法善寺の「夫婦善哉」や将棋・阪田三吉の「聴雨」などを書き、大阪人情作家などと呼ばれるが、短編「競馬」は甘くない。好いて好いて一緒になった女房“一代(かずよ)”が二十六歳の若さで乳癌から子宮癌を併発し、命脈尽きる日までその痛みに悶絶し続ける。そののたうち回る女房の、注射続きでこぶのように凝り固まった腕に、主人公“寺田”は麻薬鎮痛剤ロンパンを打ち続ける。

 寺田は三高から京大を出て旧制中学の歴史の教師になっていた真面目一方の男だが、ある晩入ったカフェで出会ったナンバー1ホステスの一代を忘れられなくなる。店の客などと数々浮き名を流してきた一代だったが、寺田の一途な申込みに結婚を受け入れる。しかしカフェのホステスと一緒になったことで寺田は実家から勘当され、勤め先の中学の父兄にカフェの常連客がいたことからあらぬ噂を立てられ、寺田は職も失う。新しい勤め先を見つけられずゴロゴロしているうち一代は病気になり、寺田は妻の看病の日々とになる。

 一代は体の痛みが増すと「肩や背中を噛んでくれ」と寺田に頼む。歯形がつくほど噛むと、一代は「ああ」と声を漏らして痛みに耐える。この性癖は誰から得たものだと寺田に悋気(りんき)が襲う。少しだけ体調がよくなると、一代は寺田の手を取って京都蹴上(けあげ)の逢い引き宿に誘う。「こんな宿、どうして知ってるんだ」とまた寺田に疑惑がわく。

 そしてその年の秋、一代が明日をもしれない重態になったとき、「明日の菊花賞、午前十一時、淀一等館入口、去年と同じ場所で待っている、来い」という一代あての一通の葉書が舞い込む。

「来い」という高飛車な言葉から、一代を自由にしていた男からに違いないと寺田は衝撃を受ける。「去年と同じ場所」ということは少なくとも去年の秋、この男と一緒に競馬場に行っていたことではないか。去年秋といえば、オレとの結婚直前じゃないか。ひょっとしてその競馬遊びのあと、あの蹴上の逢い引き宿に二人して行ったのではないか。結婚後のいまの新住所を男が知っているということは、一代は結婚後もまだこの男と連絡を取り合っていたということじゃないのか。

 のたうち回る妻を介抱しながら、寺田の頭は嫉妬で狂いそうになる。

 真面目一方だった寺田は、妻の死後、猛烈に競馬場に通い始める。新しい勤め先で預かったカネまで使い込み“一代”の名前を慕って「1番」の馬ばかり買い続け、周りにいる競馬客にはヒステリーのように、かつて妻と関係のあった男ではないかと疑惑の目を向け続ける。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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