前走本命が私をシュヴァルグラン 「競馬巴投げ!第125回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

函館競馬場が日本一古いと言うけれど

[写真1]大阪杯を勝ったアンビシャス、再びその末脚が炸裂か 【写真:乗峯栄一】

 函館競馬場が「開場120年」とかで記念キャンペーンを張っている。「現在まで続いている競馬場で日本一古い」などと言っている。これが悔しい。調べたけど、よく分からなかったのだ。

 中山、東京、京都、阪神のいわゆる「四大競馬場」については割合よく資料が残っていて、これはかなり調べた。調べて、競馬コラムなんかに書いていたら「あんたの文章は知ったかぶりのところがハナにつく」などと言われて、またそれもショックだった。どうすりゃいいのさ、思案橋だ。じゃあ何か? 知らない方がいいのか、でも知らない方がいいなどと言っていると「わたしはよく知っているから教えてあげよう」などと言う、マヤカシの政治家が表れて、知らぬ間に憲法改定されたりして、「お国のために死んでこい、それが美しい日本だ」とか言われたりするじゃないか。「お国のためじゃないだろう。お前らの利益のためだろう!」と反論できない。騙されるじゃないか。

[写真2]カレンミロティックはせん馬効果がじっくり現れている? 【写真:乗峯栄一】

 浄土宗開祖・法然の遺言は一枚起請文(いちまいきしょうもん)と言われ、ほんとに短いものだが、その一番最後に「念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法(シャカが一生の間に説いた教え)をよくよく学すとも、一文不知(いちもんふち)の愚鈍(ぐどん)の身(文字一つ知らず、無学・無知であること)になして、智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」とある。本当に仏法を知った人というのは、「シャカはどう言った、こう言った」などと、インテリぶったことはいっさい言わず、ただ「ナム・アミダブツ」と唱えるんだという意味だ。

 そうなんだ。それはそう思うけど、「智者のふるまいをせず、ただ一向に念仏する」のがいいというのは、法然の遺言を“知らない”と分からないじゃないか。「法然は何て言ったのかな?」と調べて、へえ、そうなのかと知識を得ないと分からないじゃないか。

「知ったかぶり」と「知ること」の差はほんとに微妙なところだが、知らないと、その違いすら分からない。やっぱり色んなところを知らなきゃいけないんだ。「知った上で知らなかったことにする」というのが一番偉い。でも「知った上て知らなかったことにする人」と「初めから知らない人」の区別はつかない。どうすりゃいいんだ。

「一ヶ所にある」という意味で、京都競馬場が一番古い

[写真3]タッチングスピーチは重馬場で一発あるか 【写真:乗峯栄一】

 そう、四大競馬場については割合簡単に歴史が分かるんだが、それ以外はむずかしい。特に「一ヶ所にある」という意味では(戦災を受けてない)函館と小倉が古そうなのだが、詳細が分からない。あきらめるしかないかと思っていたところに、いきなり「函館は一番古い」というキャンペーンが出た。ずるいぞ。そんなこといきなりキャンペーン張るなら、その前に資料提供しろ。

 しかし「知っている」ことは、一応言わないといけない。四大競馬場では「一ヶ所にある」という意味で、京都競馬場が一番古い。昭和初年度から今の場所にある。京都競馬場は向正面の木立の先に水量の多い宇治川(元は琵琶湖から流れ出る唯一の川・瀬田川である)が流れ、その向う、京滋バイパスの高速道路の高架の下に広く平らな水田地帯が広がるが、あれは昭和年代に入ってから干拓された「巨椋池(おぐらいけ)」の跡だ。

[写真4]目黒記念3着激走のヒットザターゲット、阪神でも! 【写真:乗峯栄一】

 京都競馬場→宇治川→巨椋池と、宇治川が巨椋池と分離されたのは秀吉(もちろん京都競馬場はまだなかったが)の巨大土木工事による。それまで巨大水量の宇治川は巨椋池に流れ込んでいた。ゆえに、いまの宇治橋というのは北に流れる宇治川に対して東西に掛かっているが、秀吉大工事の前までは宇治川は東から西に流れ、宇治橋というのは南北に掛かっていた。

 特に東国から京都に攻め入る場合、名古屋から急激に北上して関ヶ原から米原を通って東山道(のちの中山道)に入るか、伊賀路から木津川沿いに入って南から攻め込むかしかなかった。東山道は厳しい山の合間を通るから、どちらかいえば南から京都に攻め入る方が正攻法と言われた。それで義経が、京都を占拠した木曾義仲を討つとき(平家物語)も、足利尊氏が後醍醐天皇軍を攻めるとき(太平記)も、この宇治橋が最重要ポイントとなる。

 もちろん守る方も、そこは百も承知で「東軍が攻めてくるな」と予感したら、まず宇治橋を落とす。そこで、平家物語の名場面の一つ「宇治川のまっ先渡り」(橋が落とされているから馬で水量豊富な宇治川を渡る)や、「宇治川や渡るべき、淀、一口(いもあらい)やは回るべき」(危険を冒して宇治川を渡るべきか、浅瀬で渡りやすいが遠回りとなる巨椋池の西の端に回るべきか)という、常套句が出てくることになる。

1/3ページ

著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント