前走本命が私をシュヴァルグラン 「競馬巴投げ!第125回」1万円馬券勝負
函館競馬場が日本一古いと言うけれど
[写真1]大阪杯を勝ったアンビシャス、再びその末脚が炸裂か 【写真:乗峯栄一】
中山、東京、京都、阪神のいわゆる「四大競馬場」については割合よく資料が残っていて、これはかなり調べた。調べて、競馬コラムなんかに書いていたら「あんたの文章は知ったかぶりのところがハナにつく」などと言われて、またそれもショックだった。どうすりゃいいのさ、思案橋だ。じゃあ何か? 知らない方がいいのか、でも知らない方がいいなどと言っていると「わたしはよく知っているから教えてあげよう」などと言う、マヤカシの政治家が表れて、知らぬ間に憲法改定されたりして、「お国のために死んでこい、それが美しい日本だ」とか言われたりするじゃないか。「お国のためじゃないだろう。お前らの利益のためだろう!」と反論できない。騙されるじゃないか。
[写真2]カレンミロティックはせん馬効果がじっくり現れている? 【写真:乗峯栄一】
そうなんだ。それはそう思うけど、「智者のふるまいをせず、ただ一向に念仏する」のがいいというのは、法然の遺言を“知らない”と分からないじゃないか。「法然は何て言ったのかな?」と調べて、へえ、そうなのかと知識を得ないと分からないじゃないか。
「知ったかぶり」と「知ること」の差はほんとに微妙なところだが、知らないと、その違いすら分からない。やっぱり色んなところを知らなきゃいけないんだ。「知った上で知らなかったことにする」というのが一番偉い。でも「知った上て知らなかったことにする人」と「初めから知らない人」の区別はつかない。どうすりゃいいんだ。
「一ヶ所にある」という意味で、京都競馬場が一番古い
[写真3]タッチングスピーチは重馬場で一発あるか 【写真:乗峯栄一】
しかし「知っている」ことは、一応言わないといけない。四大競馬場では「一ヶ所にある」という意味で、京都競馬場が一番古い。昭和初年度から今の場所にある。京都競馬場は向正面の木立の先に水量の多い宇治川(元は琵琶湖から流れ出る唯一の川・瀬田川である)が流れ、その向う、京滋バイパスの高速道路の高架の下に広く平らな水田地帯が広がるが、あれは昭和年代に入ってから干拓された「巨椋池(おぐらいけ)」の跡だ。
[写真4]目黒記念3着激走のヒットザターゲット、阪神でも! 【写真:乗峯栄一】
特に東国から京都に攻め入る場合、名古屋から急激に北上して関ヶ原から米原を通って東山道(のちの中山道)に入るか、伊賀路から木津川沿いに入って南から攻め込むかしかなかった。東山道は厳しい山の合間を通るから、どちらかいえば南から京都に攻め入る方が正攻法と言われた。それで義経が、京都を占拠した木曾義仲を討つとき(平家物語)も、足利尊氏が後醍醐天皇軍を攻めるとき(太平記)も、この宇治橋が最重要ポイントとなる。
もちろん守る方も、そこは百も承知で「東軍が攻めてくるな」と予感したら、まず宇治橋を落とす。そこで、平家物語の名場面の一つ「宇治川のまっ先渡り」(橋が落とされているから馬で水量豊富な宇治川を渡る)や、「宇治川や渡るべき、淀、一口(いもあらい)やは回るべき」(危険を冒して宇治川を渡るべきか、浅瀬で渡りやすいが遠回りとなる巨椋池の西の端に回るべきか)という、常套句が出てくることになる。