敵はどしゃ降りだけ◎ドゥラメンテ=乗峯栄一の「競馬巴投げ!第98回」
園田のインディウム
[写真1]京都新聞杯が強かったサトノラーゼン、1枠1番を活かしたい 【写真:乗峯栄一】
しかし底知れないインディウムならという思いがあった。かつてのハイセイコーやオグリキャップのように、まあ、そういう芝巧者じゃなくても、アブクマポーロやメイセイオペラのようなダート戦で中央の馬を押さえ込むような、そんな突出した地方馬が園田から出ないものか。インディウムなら可能性があるのではないかという気がした。
しかし甘くない。2勝クラスの中央馬に手もなく押さえ込まれ、インディウムは5着に沈んだ。中央と地方の実力格差は昔よりも広がっている。園田はもちろんだが、レベルが高いと言われる南関東の馬でも、中央のダート得意馬になかなか勝てなくなっている。血統の違いなのか、育成過程の差なのか、トレセン設備の差なのか、それらすべてを呼び込むのはたぶん賞金体系の違いなのだろうが、しかし賞金体系を上げるには馬券売り上げが伸びねばならない。でも競馬を見たい、馬券を買いたいというファンの思いは「強い馬」が出なければ増大しない。どこまでいってもジレンマは続く。
ハイセイコーより隣の奥さんの牛乳入れ
[写真2]キタサンブラックは皐月賞3着から逆転を狙う 【写真:乗峯栄一】
あの頃ぼくはまだ高校生で、馬券も買ったことがなかった。でも何やら地方競馬からとんでもない馬が出てきて、ダービーだって優勝確実のような報道が続き、大変な盛り上がりだったことだけは覚えている。
でもその頃のぼくの場合、関心の中心はハイセイコーより、アパートの隣の部屋の新婚の奥さんだった。とってもきれいで優しいひとだった。体育の授業の都合で柔道着を持って学校に行っていると「柔道部なのね」とにっこり微笑んでくる。「あ、いや、サッカー部です」と答えると「あ、そう。じゃ、柔道は趣味なのね」などと訳の分からないことを言ってくる。サッカー部なのに柔道を趣味にしている人間て、どんなんや!とツッコミたくなる。でも奥さんのブルーのニットの下に透けて見えるブラジャーの紐が口を閉じさせる。もう胸いっぱいだ。「スポーツ好きなのね」などと微笑んで追い打ちをかけてくる。何だ、何でそんなに挑発するんだ。それから、ぼくは毎朝、隣の部屋の前の牛乳入れを覗いて通学するのを習慣にした。「あ、奥さん、今朝も牛乳飲んだんだ」などと意味不明の微笑みを浮かべて学校に行くのである。
ハイセイコーより隣の奥さん、隣の奥さんより隣の奥さんの牛乳入れと、興味の対象をより身近なものとして生きていくテクニックを高校生にして既に会得していた。
ハイセイコーのダービーを見て思ったこと
[写真3]福永祐一とリアルスティール、東京で再びドゥラメンテを撃破するか 【写真:乗峯栄一】
(1)誰も買わない馬を買って、その馬が勝ってたくさんの配当を得る(大穴馬券を取る)
(2)誰もが買おうとする馬を自分も買うが、他の皆が急にその馬を買う気をなくして、たくさんの配当を得る(本命馬券を大穴馬券に変える)
(1)は可能だが(2)はどうして不可能だと考えるんだろう。
A.誰も見向きもしない隣の奥さんの牛乳入れを覗いて大きな満足を得る(ひとが気にしないもので大満足・大穴馬券)
B.誰もが「きれいだ」と言う奥さんが、突然ドアを開けて「いらっしゃい、いま主人いないから。前からあなたのこと好きだったのよ」と微笑む(本命馬券が身近に手に入る)
(1)(2)はABと言い換えられるんだなどと、ハイセイコーのダービーを見ながら、そんなことを考えていた。