栗山巧 独占手記「生涯つらぬく志」

意外なつながり?栗山巧が野茂氏と出会い、教えられ、学んだこと 23年間の励みは…

栗山巧

栗山巧 独占手記「生涯つらぬく志」の第2回は、野茂英雄氏との知られざる裏話をつづってくれた 【撮影:スリーライト】

 今年、プロ24年目のシーズンを迎える埼玉西武ライオンズの栗山巧。2021年、球団史上初の“生え抜き2000安打”を達成し、昨年までに積み上げた安打は2148本。言わずと知れた獅子のレジェンドである。これまで多くを語らず、ひたむきに野球と向き合ってきた栗山巧が今、自分の歩んできた道のりを振り返り、心境をつづってくれた。

 約1カ月にわたり、全5回の独占手記「生涯つらぬく志」を連載。第2回は、20年来の親交がある野茂英雄氏との貴重なエピソードを明かす。

野茂英雄さんとの出会い

 毎オフ恒例の行事として「NOMO KURIYAMA ALL STAR GAME」というイベントを開催しています。

 あの野茂英雄さんと一緒に大会委員長を務めさせていただく少年野球の大会です。野茂さんの「NOMOベースボールクラブ」の本拠地・但馬地区代表のチームと、僕が主催している「栗山巧杯」で優勝したチームが対戦します。

 新型コロナウイルスの感染拡大で開催を見合わせた年もありましたが、おかげさまで今年で10回目の開催となりました。自分が現役の間に、ここまで回数を重ねられるとは思いませんでした。ここでエネルギーをもらって、現役を続けられているというのもあるかもしれません。

 なぜ野茂さんと一緒に? というのは本当にたくさんの方から聞かれます。そうですよね。僕だって、ものすごく不思議なめぐりあわせだと感じています。



 野球に夢中になり始めた小学校の高学年のころ、すでに野茂さんはアメリカに渡られていました。

 ドジャースで大活躍されていて、野球選手の枠をこえて国民的なヒーローになられていた。今の大谷翔平選手を取り巻く状況がまさにそうだと思いますが、野茂さんフィーバーもまた「社会現象」だったと思います。

 僕は高校を出て、プロになった。そして2年目のオフ。ライオンズの二軍監督に就任されたばかりの石井浩郎さんに「話がある」と呼ばれました。

 プロとして長く活躍したいなら、トレーニングをしっかりやりなさい。石井さんはそう言って「ノモのところに行け」と勧めてくださりました。

 ノモさん…? すぐにはピンと来なかった。それくらい、意外な名前でした。石井さんは近鉄時代のつながりから、野茂さんを紹介してくださったんです。



「彼がやっているトレーニングは先進的で、すごくいいから」

 石井さんはそうおっしゃっていましたが、僕はそのトレーニングを自分がするというのが、まったく想像できませんでした。

 新しいことを受け入れられない、なんていうことではありません。

 野茂さんは当時もバリバリのメジャーリーガーで、直前のシーズンでは16勝を挙げていた。これからどうなるかわからんような高卒すぐの選手を受け入れてくれるとは、とうてい思えなかったんです。

 石井さんの紹介で、専属トレーニングコーチだという方に連絡をしました。「ストロングス」主宰の大川達也さんは「聞いているよ」と言って、トレーニングの日時と場所を僕に告げました。

 あまりにもあっさりと、とんとんと話が進んでいく。なので、ちゃんと覚えていないんですよね。自分で切り開いた状況だったら、絶対に忘れないと思うんですが。

 とにかく緊張して、何を話したらいいのかわからなかったことだけが、記憶に残っています。気づけば僕は、トレーニングジムで野茂さんにあいさつをしていました。

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著者プロフィール

1983年9月3日生まれ。兵庫県出身。背番号1。外野手。右投左打。177cm/85kg。プロ24年目。育英高から2001年ドラフト4巡目で西武に入団。2008年に自身初の規定打席に到達し最多安打(167安打)を獲得するなどチームの日本一に貢献。08年から9年連続でシーズン100安打以上を達成、12年から16年まではキャプテンを務めるなどチームの顔として活躍。稀代のヒットメーカーとして安打を積み重ね、21年に生え抜き選手では球団史上初となる通算2000安打を達成した。これまで獲得した主なタイトルは最多安打(08年)、ベストナイン(08、10、11、20年)、ゴールデン・グラブ賞(10年)。

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