栗山巧 独占手記「生涯つらぬく志」

意外なつながり?栗山巧が野茂氏と出会い、教えられ、学んだこと 23年間の励みは…

栗山巧

周りを幸せに…という野茂さんからの教え

出会いから約20年後……通算2000安打達成記念セレモニーで野茂英雄氏(右)から名球会のブレザーが贈られた 【写真は共同】

 野茂さんのトレーニングは、それまで僕が見聞きしていた「筋トレ」とはまったく違うものでした。

 当時みんながやっていたのは、いわゆるフリーウエイトのトレーニングでした。大きなダンベルを、ベンチプレスやスクワット、デッドリフトなどで持ち上げる。学生だけじゃなく、プロでもそれが主流だった。

 野茂さんはそういったメニューを、まったくやりませんでした。大型のマシンを使って、安全に、効率的にトレーニングをする。

 ひとつの部位に集中的に負荷をかけることもしません。今日は上半身、今日は下半身、ではなく、上から下から、体幹まで全身を鍛えるメニューを毎日行う。

 大川さんが提唱していた「スロートレーニング」でした。

 あまりの違いに、衝撃を受けました。そして「スロー」と言いながら、本当にしんどかった。これ以上ないほど効率的に身体に負荷をかけるメニューでした。

 僕も僕なりに、きちんとトレーニングをしてきたつもりでいた。でも、まったく足りていなかったと痛感させられました。石井さんはそのあたりを見通しておられたんだなと。

 そして野茂さんは、ものすごい集中力でトレーニングに取り組まれていました。かけている負荷の大きさが、当時の僕とは違ったというのもあるかもしれません。いずれにしても、鬼気迫る、といった感じがありました。

 いつも寡黙で、近寄りがたいオーラを発している。世の中の皆さんが持っている野茂さんのイメージは、おそらくこのトレーニング中の雰囲気なのかなと思います。



 僕もまさに、そういうイメージを持っていました。

 でも、実際には違うんですよね。トレーニングが終わると、とてもきさくに話をしてくれる。野球のことが多いですけど、それだけじゃない。僕は入り口がよかったから、接しやすくなったのかもしれないですけど。

 野茂さんがお話の中でいつもよく言われること。それは「周りの人を幸せにできる人間でありたい」ということです。

「自分に関わってくれる人には、誰ひとりとして残念な思いをさせたくないよね。プロだったら」

 ご一緒するようになってからすぐのころ、そういうことを言ってくださっていたのを思い出します。

 野茂さんには寡黙なイメージと同じくらい「我が道を行く」というイメージがあると思います。トレーニングもそうだし、野球選手としてのキャリアもそうです。

 でもそれは、自分が心地よいから、とかいう話じゃない。

 自分に関わってくれた人を幸せにする。必ず期待に応える。

 そこを常に、本気で考える。だから「合理的じゃないかも」「成功につながる可能性が低い」みたいな選択肢には、絶対に甘んじない。

 みんなを喜ばせる結果から逆算して、トレーニングのあり方も考える。例えば、いくら筋肥大させたところで、その過程でケガをしてしまったら、野球での結果にはつながらないわけですよね。だから、修復がきかないじん帯や関節などにも負荷がかかるようなメニューはやらない。

 野茂さんはそのあたりを徹底していました。結果として、他人と違うやり方になることも多くなる。それについて、他の方から疑問を持たれることもあったかもしれません。

 でも、絶対に揺らがない。「関わってくれるみんなを幸せに」という明確な目標があるから、だと思います。

 プロであるからには、そうあらねば。僕はあんなにすごい人ではないけど、スタンス、考え方は真似しなければならない。

 野茂さんから学ばせてもらったことです。

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著者プロフィール

1983年9月3日生まれ。兵庫県出身。背番号1。外野手。右投左打。177cm/85kg。プロ24年目。育英高から2001年ドラフト4巡目で西武に入団。2008年に自身初の規定打席に到達し最多安打(167安打)を獲得するなどチームの日本一に貢献。08年から9年連続でシーズン100安打以上を達成、12年から16年まではキャプテンを務めるなどチームの顔として活躍。稀代のヒットメーカーとして安打を積み重ね、21年に生え抜き選手では球団史上初となる通算2000安打を達成した。これまで獲得した主なタイトルは最多安打(08年)、ベストナイン(08、10、11、20年)、ゴールデン・グラブ賞(10年)。

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