「やっておいて良かった」カタールへの旅 U-16日本代表、“失敗して成長する世代”だからこその経験値

川端暁彦

声援を送ったサポーターと全員で集合写真。多彩な立場の人が“参戦”していた 【撮影:佐藤博之】

いまの段階で感じる失敗は成功するための布石

「日本サッカーのベースが上がっている結果なんじゃないですか」

 遠くカタールで開催され、日本の“3戦3圧勝”で終わった AFC U17アジアカップ予選を終えた廣山望監督は、そんな言葉を漏らした。

 今大会を前にした状況は必ずしもポジティブではなかった。「ずっと高校3年生に混じって試合に出続けていたような高校1年生に負傷が続いてしまった」(廣山監督)からだ。緊急招集も2名おり、代表経験のない選手も多かった。

 地元・U-16カタール代表を5-0と粉砕した最終戦に臨んだU-16日本代表のスターティングオーダーには2名の初招集選手が含まれているし、他にも多数の初招集組や招集歴はあるが、国際試合の経験を持たない選手も多くいた。

 ある種のリスクも伴う起用だが、廣山監督は以前から「この年代は急に伸びてくる選手が絶対にいるので、それを逃さず招集したい」と語っており、チームとしての継続性よりも伸び盛りの個人を発掘していく方向性を明示していた。そうした選手についても「やれると思ったので呼んだ」とシンプルだ。

 もちろん、全員が見事なパフォーマンスを披露したというわけではないが、これまた廣山監督の言葉を借りれば「失敗して成長する世代」でもある。

 この予選を戦う中で、代表チームならではの連係面の難しさに直面した選手が「もっとホテルでも会話しないとダメだと思った」という反省を口にしたり、風邪を引いて離脱してしまった選手が「海外での過ごし方」について考えを改めている様子などを見れば、その効果は一目瞭然だ。

 予選という「負けたら終わる」緊張感の中、見知らぬ海外の環境で、普段と異なるチームメイトや指導者に囲まれつつ、15~16歳の選手たちが受け取る刺激は相当なものだ。

「体調を崩した選手は相当悔しい思いをしたと思う。これで成長するんじゃないですか。さらに感度がいい選手であれば、他人が失敗しているのを見て、自分から工夫を始めるでしょう」(廣山監督)

 風邪対策ひとつを取っても、あれをやれ、これをやっとけと言い含めてやらせることは簡単だが、そういう話でもない。

 彼らの目指すプロの世界は、孤独な個人事業主として戦い抜いていくしかない。「たった一回の発熱でポジションを失うことだってある」(廣山監督)世界で生きていこうという選手たちである。いまの段階で感じる失敗は、むしろ成功するための布石というわけだ。

特別なプレッシャーを乗り越えたFW谷大地

今大会最も強烈なインパクトを残したFW谷大地もプレッシャーとの戦いを乗り越えていた 【撮影:佐藤博之】

 もちろん、それはプレー面も然りである。たとえば、第1戦でまずいプレーをしてしまったDF藤井翔大(横浜F・マリノスユース)について廣山監督がその後の様子を観察していた。

 その上で、目の色を変えていることを汲み取り、最も大事な第3戦で再び藤井を先発起用。藤井はその期待に応えるパフォーマンスでカタールを完封してみせた。指揮官は「今日は並々ならぬものを持って戦ってくれた。その姿勢を“基準”にしてほしい」と語る。

 若くして代表のユニフォームをまとう彼らは、特別な能力を持った選手たちである。それゆえに、日本での試合は「そこまで頑張らなくてもやれてしまう面がある」(廣山監督)。ただ、国際試合となると、こうした“日本の日常”を持ち込んでしまうと、突然やられてしまうことがある。

 U-16ネパール代表に喫した初戦の2失点が象徴的なように、チームの総合力で格差がある相手に対してさえ、個人個人が競り負けてあっさり失点してしまうということが起きるもの。

「日本相手となると本当に目の色を変えてくる」(廣山監督)相手と戦う怖さを初めて体感する場にもなる。ある意味、この1次予選はローリスクで(ゼロリスクではないが!)まだ若い選手が多種多様な意味での“代表の難しさ”を体感できる場になっているわけだ。

 それはもちろん、“日本代表選手として戦う”という精神的な意味でも、多くの選手にとって初めて体感するものがある。

 周りを見れば外国人ばかりという環境で、恒例の音楽とともに入場して君が代を聴いていると、突然の緊張に襲われてしまうなんてこともある。そこは競争の場であり、「責任」を感じる場でもあるからだ。

 今回、多くの選手から「代表選手として戦う責任を感じた」とか「初めて緊張した」なんて言葉が聞こえてきたのは、たまたまではない。

 父親が韓国人で母親が日本人、ソウル生まれのソウル育ちというバックボーンを持つFW谷大地(サガン鳥栖U-18)は、今回初めて“日本代表”のユニフォームに袖を通して戦った。

 ピッチではいつも強気に振る舞っていたが、「初めて食事がノドを通らないという経験をした」と言う。理由は「たぶんプレッシャーなんだと思います」と谷。

 固形物を胃が拒否する中で「スープ状のものなら飲めたので」、割り切って「カップラーメンを4個食べた」という形でカロリーだけは確保。その状態で試合に臨んだ最終戦でも、決勝点となる先制弾を含む2ゴールを記録してみせた。

 終わってみれば3戦連続7得点の大活躍で、「日本代表として戦う」特別なプレッシャーを乗り越え、ストライカーとしての確かな実力、代表選手にふさわしい精神力を証明することとなった。

 すべての試合を終えた指揮官は大会をこう総括する。

「(結果が)9-2、7-0、5-0だと、『やっている意味があったのか?』と思う方もいるかもしれないけれど、やっている意味はあるから、と。『やっておいて良かったな』と思います」(廣山監督)

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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