能登半島復興支援チャリティー演技会に見た、羽生結弦が滑る理由 五輪連覇の目的だった、震災支援への思い

沢田聡子

事前に輪島市を訪れていた羽生

羽生は演技会で『春よ、来い』を披露 【(C) 矢口亨】

 羽生結弦が滑り続ける理由は、ここにある――。

「挑戦 チャレンジ」と名付けられた能登半島復興支援チャリティー演技会で滑る羽生は、そう感じさせる空気をまとっていた。

 周知の通り、羽生は16歳の時、地元・仙台で東日本大震災に遭遇した。避難所生活を経験し、拠点としていたリンクが使えなくなる困難も乗り越えて、2014年ソチ五輪で金メダルを獲得。2018年平昌五輪では連覇を果たし、2022年にプロ転向を表明した羽生は、アマチュア時代には実行したくても制限があったチャリティー活動を積極的に行える立場になった。

 常に災害の被災地に対して深い思いを寄せてきた羽生は、今年1月に起きた能登半島地震についても、自らができることを考え抜いてきた。6月には輪島市を訪れ、地震の傷跡が「こんなにも、このまま残ってしまっているんだ」と衝撃を受けたという。交流した現地の中学生には、被災者の痛みが分かる羽生にしか言えない言葉をかけた。

「どんなに辛いことがあっても、いずれ時がくれば何かはしなきゃいけない。どんなにやりたくなくても、どんなに進めなかったとしても、締め切りが来たら、結局は進まなきゃいけない」

「震災があってから半年以上の年が過ぎて、『何ができるか』とか、『どんなことが進んでいるか』とか、いろんなことを考えると思いますけれども、来る時は来るし、来ない時は来ないから、もうしょうがないって思うしかないところもありますし。でも、『しょうがない』の中に、笑顔とか、その時の一生懸命がいっぱい詰まっていたらいいなって思っています」

経費削減のため照明を使わず、明るいリンクで演技

能登の若者とスケーターが共演した 【(C) 矢口亨】

 9月15日に石川県で行われたチャリティー演技会は、羽生の言葉通り「その時の一生懸命」が詰まったものになった。能登高校の体育館とアイスショーが行われたリンクをモニターでつないで行われた演技会は、小学生~高校生を中心に構成している和太鼓チーム「輪島・和太鼓虎之助」の演奏に乗り、無良崇人、鈴木明子、宮原知子、羽生結弦が滑るパフォーマンスで幕を開けた。続いて輪島・和太鼓虎之助の演奏、能登高校書道部のパフォーマンスが披露される。能登の若者たちが、時折緊張感をにじませながらも精いっぱいの演技をみせた。

 スケーターたちも一曲ずつソロナンバーを披露し、無良は『燦々』、鈴木は『愛の賛歌』、宮原は『スターバト・マーテル』を演じた。この演技会の配信収益は、石川県に寄付される。経費を削減しできる限り多くのお金を寄付に回すために照明は使われず、明るい中での演技となった。

 そして、羽生は『春よ、来い』を滑り始めた。2022年北京五輪のエキシビションでも披露し、当時はコロナ禍にあった世界に光が戻ってほしいという羽生の思いを感じさせたナンバーだ。このプログラムの見せ場は氷すれすれまで顔を近づけて行うハイドロブレーディングだが、この日は特別な思いがこもっていた。

「ここの周辺の地面が大きく揺れたということもあって、何か鎮まってほしいなという気持ちもありました」(羽生)

 そして続くフィナーレは、『ケセラセラ』(Mrs.GREEN APPLE)。「『前を向いていくんだ』という気持ちを表現した」「楽曲の一つひとつの音をすごく大切にしながら、希望を胸に滑った」と羽生が振り返るように、観る者に力を届けるプログラムに仕上がっていた。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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