4個のメダルを獲得した鈴木孝幸に独占インタビュー 競泳チーム最年長が振り返るパリ大会
男子50m平泳ぎ(運動機能障害SB3)で金メダルを獲得しガッツポーズする鈴木孝幸 【写真は共同】
鈴木は翌30日の100m自由形(運動機能障害S4)で銀メダル、9月3日に実施された200m自由形(運動機能障害S4)で銅メダルを獲得し、3色のメダルを揃えた。混合200mメドレーリレー(運動機能障害)ではメダルに届かなったが、6日に迎えた最終5種目目の50m自由形(運動機能障害S4)で再び銀メダルに輝き、パリ大会で通算4個のメダルを手に入れた。
大会最終日、競技を終えた鈴木がスポーツナビの独占インタビューに応じてくれた。(取材日:9月8日)
満足度の高い大会
リレーも含めて5種目に出場し、個人種目ではメダルが取れて、金メダルも獲得しました。東京大会では更新できなかった自己ベストも2種目で出せたので、とても満足度の高い大会になったと思います。競泳チーム全体としても、東京大会と同じぐらいのメダル数を獲得できたと思いますし、若手でメダルを取れた選手がいたこともよかったなと思います。
※編集部注:パリ大会での競泳チームが獲得したメダルは12個、東京大会では13個
――5種目への出場にあたって、リカバリーなど調整が大変な部分はありましたか?
パリ大会は、選手村から会場が少し遠くて、バスで片道40分くらい、道路の混み具合によってはもう少し時間がかかることもありました。レースが連日続くと、睡眠時間が短くなってしまったのが今回すごく大変だった部分でした。特に初日の50m平泳ぎから翌日の100m自由形にかけては、5時間弱ぐらいの睡眠で臨まないといけなかったので、それがなかなかしんどかったなと思います。
――睡眠時間が十分に取れないときはどのように対策しましたか?
事前に日程が発表されて出場種目も決めた時点で、ある程度の想定はしていました。ただ現地に到着して、大会前の練習の行き来から移動時間など把握していく中で、自分が思っているよりもうちょっと短くなりそうかな、みたいな部分はありました。だから少しでも長く睡眠時間が取れるように、いつもは選手村の食堂まで行って食事を取るところを、50m平泳ぎが終わった日の夜は自分の部屋でご飯を食べられるように準備をしていて、睡眠時間も長く取れるようにしていました。その位の工夫ですかね。
――東京大会に続いてメダルを量産する結果になりましたが、パリに向けた3年間でご自身の変化はありましたか?
3年前も思ってはいましたが、やはり(年齢を重ねるごとに)疲労回復に時間がかかるというか、疲れが取れにくくなっているなと。なので、東京大会よりも2日連続のレースが少ししんどかったり、大会の後半になってくると疲れが100パーセント取れた状態ではないなというのを感じていました。でも体は動いているというところで、気持ちの面では疲れを感じていても、気にせず泳ぐようにしていました。
金メダル獲得がその後の種目への自信に
独占インタビューに応じる鈴木 【スポーツナビ】
金メダルをすごく目標にしていた種目ではありました。ただ事前の合宿のときに、エントリーリストが発表されて、(予選のない)ダイレクトファイナルになることに気付きました。ずっと予選、決勝と2本レースをする準備をしていましたが、決勝1本だけでしっかりとベストパフォーマンスを出さないといけない。そのためにはどうしたらいいかという考え方をそこからして、うまく結果として出てくれたのは嬉しかったです。それによって自分の調子がやはり悪くなかったんだなと。事前合宿の時点でも調子の良さは感じていましたが、実際に1本レースを泳いで「やっぱり悪くなかったかな」と実感できたので、その後の種目に対しての自信というか、ポジティブにレースに向かえたと思っています。
――翌日の100m自由形は金メダルを獲得して迎えたレースになりましたが、どういった気持ちで臨みましたか?
自己ベストを狙えそうな種目だったので、そこを目標にしていました。50m平泳ぎで金メダルを取れて、本当はもう少し余韻に浸っていたかったんですが、あまりその時間がなくて、すぐに次の100m自由形のことを考えて準備して行動しなければという状況でした。
――銀メダルを獲得した50m自由形が最終種目になりましたが、ご自身にとってパリ大会が終わった瞬間はどのような気持ちになりましたか?
タッチした瞬間は自己ベストを更新、しかも目標にしていた36秒台を出せたことにすごく満足しました。けれど同時に、このタイムなら金メダルを取れたのかなと思ったりもしたので、ちょっと残念なところもあった、そんな感情でしたね。(大会が)終わったなと思ったのはもっと後だったなと感じていて、それこそ最終日のレースを見ている時だったかなと。