五輪に1勝届かなかったバドミントン福万尚子、パリ五輪に米国から教え子と参加

平野貴也

7月、米国のジュニア選手を日本に連れて来た福万コーチにインタビュー。パリ五輪への思いと、日米の環境の違いについて話してもらった 【平野貴也】

 わずか1勝が足りず届かなかった五輪に、コーチとして参加する日本人指導者がいる。バドミントン女子ダブルスで活躍した福万尚子だ。福万は、與猶くるみとのペアで2015年世界選手権の銅メダルを獲得。16年リオデジャネイロ五輪の出場権獲得レースで、最終戦となるアジア選手権を優勝すれば、五輪出場の条件を満たせる状況となった。決勝戦に進出したが、高橋礼華/松友美佐紀との日本勢対決に敗れ、五輪出場はかなわなかった。

 19年末に現役を引退すると、20年から米国で指導者としてのキャリアをスタート。2024年パリ五輪に3人の教え子を輩出し、担当選手の試合でコーチ席に入るパスも取得。あと一歩届かなかった五輪のコートに、違った形で足を踏み入れることになった。福万は「途中、五輪に行けなかった自分がコーチでは、選手も五輪に行けないのではないかと不安になった。でも、生徒が自分の夢をかなえてくれた。夢が一つかないました」と喜んだ。

コーチでも五輪レース最終戦勝負、肩の荷が下りて号泣

 パリ五輪に出場する教え子は、男子のヴィンソン・チュウ、ジョシュア・ユアン、女子のジェニー・ガイの3名。種目は、男子ダブルスと混合ダブルスで、ヴィンセンが両種目を兼ねる。教え子の3選手が出場権を獲得したのは、五輪レース最終戦のアメリカ大陸選手権。カナダのペアときん差で出場権を争う中、ライバルが先に敗れ、男子ダブルスは準決勝、混合ダブルスは決勝に進出した時点で五輪出場権の獲得が確定。レース最終戦で自身の経験を思い出さずにはいられなかった福万は「肩の荷が下りて、涙が止まりませんでした」と蘇った記憶との戦いから解放された瞬間を振り返った。

米国で与えた、前向きに挑み続ける意思とプラン

左からヴィンソン、ジョシュア、福万コーチ、ジェニー 【福万尚子さん提供】

 3選手は、いずれも五輪初出場だ。日本のように協会が代表チームを組織して五輪挑戦に向け強化計画を練る強豪国とは異なり、米国では選手に対するサポートがほとんどない。そのため、五輪出場を具体的な目標として捉えること自体が難しい環境にある。福万は、意識改革から手を付けた。自身は、五輪出場の可能性が急浮上したため準備不足だったと感じていた。教え子たちには、五輪出場まで逆算してプランを立てるようにアプローチ。「世界ランク20位~100位の選手は、1回しか対戦しない相手に対して使える、技術の幅や精神面の安定度をどれだけ持てるかの戦い。誰にでもチャンスがあると知ってほしかった」と、勝てる国内大会よりも国際大会の出場を優先するように助言し、経験を積ませた。

 また、自身が実業団でエース格になったことがなく自信を得るのに苦労したため、指導の際には「みんな、国際大会では勝っていなくて自信がなかった。それは分かる。じゃあ、どうやったら勝てるようになるか。それをイメージできるように、プラス思考に持って行くようにコミュニケーションを取った」と前向きな姿勢を保たせるように心掛けた。

 男子ダブルスは、保木卓朗/小林優吾(トナミ運輸)とグループリーグで対戦する。福万が所属するグローバルバドミントンアカデミー(GBA)の創設者トニー・グナワンは、トナミ運輸で保木/小林を指導した経験がある。福万は「トニーの指導を受けた2人と対戦する、面白い組み合わせになった。もちろん相手が強いけど、思い切ったプレーをさせて勝ちに行く気持ちで準備したい」と不思議な縁を感じる一戦に臨む意気込みを語った。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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