引退覚悟から巻き返した大堀が悲願の五輪初出場 バドミントン代表レース最終戦で決着

平野貴也

パリ五輪の出場権獲得を確実にした大堀彩 【平野貴也】

 厳しいレースを勝ち抜き、最後に五輪切符を手にしたのは、長身サウスポーだった。

 バドミントン女子シングルスの大堀彩(トナミ運輸)が10日、パリ五輪の出場権獲得を確実にした。出場権獲得レースの最終戦となるアジア選手権の1回戦で、日本勢3番手の奥原希望(太陽ホールディングス)が敗退。すでに、五輪でレースランキング16位以内を確実にしていた大堀は日本勢2番手が確定。五輪出場の条件を満たした。

 パリ五輪のバドミントン競技は、各種目とも同国からの出場は、最大で2枠。2022年世界選手権優勝の山口茜(再春館製薬所)が日本勢1番手での五輪出場を確実にしており、大堀と奥原が2枠目を最後まで争ったが、優位に立っていた大堀が逃げ切った。

 大堀は1回戦を突破。五輪本戦に向けて、シード獲得を目指す戦いに切り替わった。試合後、五輪出場が確実になったことについて聞いたが、まだ試合が続くこともあり「(ポイントの計算は)なんとなくは把握していますが、あまりハッキリと(条件などを)見てしまうと、自分にプレッシャーをかけてしまうと思っていたので、まだ(五輪出場権獲得の)実感がありません。今は、レースの最後をしっかり終わらせることを考えている」と話すに留めた。

早くから期待を受けた、日本では希少な長身アタッカー

 夢だと話していた舞台の切符は、長い戦いの末に勝ち取ったものだ。大堀は、小柄な選手が多い日本では珍しく、169センチの長身を誇るサウスポー。上から振り下ろすショットを武器とする。思い切りの良い強打をフェイントに使い、同じスイングで少し角度を変えてストンとネット前に落とすカットスマッシュは、世界でもトップクラスの切れ味を誇る。

 福島県に生まれ育ち、富岡高校の監督だった父・均さん(現、トナミ運輸コーチ)の指導を受けて育った。中学生だった2011年には、東日本大震災を経験。原発から距離が近かった学校に戻れず、バドミントン部は内陸の猪苗代町に拠点を移して活動。専用体育館がある恵まれた環境が当たり前ではないことを知った。

 苦境を乗り越え、競技を続け、高校2年生の2013年には、日本人で初めてアジアユース選手権の女子シングルスを優勝。世界ジュニア選手権でも銀メダルと活躍を見せた。

21年のA代表落選で引退を考えた

 ただし、シニアでは、国際舞台で苦しむ時期が長かった。2018年に日本A代表に選出されたが、2学年上の奥原、1学年下の山口が16年以降、五輪や世界選手権で毎回のようにメダルを獲得する中、日本勢3番手から抜け出せず。21年には日本B代表に落ちるなど、後進から突き上げを受ける立場に立たされ、世界のトップを走る2人との距離は、なかなか縮まらなかった。

 大堀は「A代表から落ちたときは、後悔なく1年をやり切ったら(現役を)辞めますとスタッフに言っていました。自分の中で限界を感じてしまっていた時期でした。でも、もう辞めると思ってから、悔しさが出てきた。充実感を得られていなくて、後悔が心の中にたくさんあるということに気付きました。あそこでキッパリと辞めることができず、負けたくない、悔しいという負けず嫌いの部分が、最後にこうやって生きてくれたのかなと思うと、何がどこでどう転ぶかは、本当にやってみないと分からないものなのだなと思います」と振り返った。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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