五輪に1勝届かなかったバドミントン福万尚子、パリ五輪に米国から教え子と参加
日本より厳しい、競技を続ける難しさ
日本と米国のプレー環境の違いについて、福万は次のように話した。
「日本では、大学までは競技を続けられます。そこからトップの実業団に進めなかった選手は、国内の2部、3部リーグのチームに行くけど、働きながらお金を使ってプレーする環境になり、辞める選手が出てきます。米国では、そのサイクルが高校卒業のタイミングで来ます。クラブで競技を続けても、実業団や国の協会が経費を負担してくれるわけではありません。米国では国内大会でも移動費が高いです。男子ダブルスに出るジョシュアは、20歳。大学に進んだ子が五輪に行くパターンは、米国では珍しいです。米国のバドミントンの選手と言うと、お金をかけて活動を続けることができる人で、五輪は、そうした経験を積み重ねられた選手が出られる舞台だと思われています」(福万)
米国で挑む、競技の価値向上
米国で指導キャリアを積む福万コーチ 【平野貴也】
「今は、自分が働くGBAの価値向上を考えています。私が、日本と米国の架け橋になれれば、ほかのクラブにはない強みが持てる。クラブがアジアから目を向けてもらえれば、米国のバドミントン界の価値向上にもつながります」
それは、日本のバドミントン指導者の価値を高めることにもつながる。
福万がコロナ禍の20年に海を渡ったのは、サンフランシスコにあるシナジー・バドミントン・アカデミーから五輪カテゴリーのヘッドコーチとして招へいされたからだ。しかし、クラブの方針が次第に変わり、福万は23年5月にロサンゼルスにあるGBAへの移籍を決断。トップ選手の指導を一度は諦めた。ところが、上記の3選手は、福万を追いかけて同年9月にクラブを移籍した。指導が一定の評価を得ているということだろう。
福万が米国行きを選んだ背景には、エース格でなかった選手が、実業団で指導者として採用されにくい日本の環境も影響している。また、一部の強豪実業団しか高い競争力を保てず、早い段階で競技から離れる人も多い。競技者の多さを、競技の価値向上につなげられていない現状がある。福万の挑戦は、日本のバドミントン関係者が持つ価値を世界の物差しで計る挑戦でもある。
パリ五輪の次、2028年の五輪開催地は、GBAの拠点であるロサンゼルス。福万は、パリ五輪後も地元開催の大舞台に向け、挑戦を続ける予定だ。競技者としてはたどり着けなかった五輪という大舞台に、海外から指導者として参加する。そんな彼女の姿は、日本のバドミントン関係者が競技の価値向上に貢献する方法がもっと多く存在する可能性も示している。